ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

目くそ鼻くそ

山下氏は「文武両道が必要だと盛んに言っている私が顔見知りの麻生さんにそう言われるのは意外だ」と述べた。(朝日新聞 2014年2月14日19時41分)

こちら

 麻生太郎が「山下は英語ができない」といったんだそうだけれど、国際人としてどうか、という質問に対する答弁だったそうだ。これは森嘉朗についての論評なんじゃないの?
 森はソチで日本のオリンピック組織委員会の役員は英語でコミュニケイトできない人が多くて大丈夫なのか、という質問に「英語は敵性語だったから」と言い訳したんだそうだけれど、彼は終戦の時に7-8歳だったはずで、英語教育を受けたのは戦後だったから、敵性語ではもうなかったはすだとチャチャを入れられていた。
 「英語が巧くしゃべれたからって仕事ができる訳じゃない、スポーツが強い訳じゃない、優秀だって訳じゃない」とさんざん云われてきた国で、英語能力は高く評価されてこなかったものねぇ。
 嫌みじゃねぇのかといわれかねないけれど、かつて職場で自分の英語能力を評するとどの程度かと書き込まなくてはならないことがあって、日常会話程度で職務をこなすまでには至らないと書いたら、「君がそのレベルに自分をおくとすると他の人間が困るから、職務にも困らないと書け」といわれたことがある。
 TOEICは何点取れたのかと聴かれて正直に自分の得点をいったら「その程度でいい気になるな、隣のセクションのあいつは君を遙かにオーヴァーしているんだ」とまるで私が自慢をしたように云われた記憶が今よみがえって来ちゃった。あれだって自分が受けたくて受けた訳じゃなくて、職場から強制的に受験させられた結果だった。
 「国際人になれ」というなんだかわからない号令がかかっていた割には英語ができるということが必ずしも職業人として優れているってことではないのだという論理があたりを支配していたなぁ。その割には書かせるとどんな文章を書いてもなんだかんだと注文をつけられたものだった。わけわからんのだ。
 まぁ、要するに私の人間性が周りから全く買われていなかったということな訳だね。はなはだ遺憾でござる。