ほぼ足りてまだ欲 その先

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はじまった

 群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」の朝鮮人強制連行追悼碑をめぐり、県は二十二日、碑を管理する市民団体に対し、碑の前で開いた追悼集会で許可条件に反する政治的な発言があったとして許可を更新しない決定を伝えた。県は市民団体に碑の撤去を求めているが、市民団体は拒否し、法廷闘争も辞さない構えだ。
 大沢正明知事は「追悼碑の存在自体が論争の対象になり、県民が健やかに公園を利用できなくなるなど、憩いの場である公園にふさわしくなくなった」
追悼碑建立の経緯
 追悼碑を管理する市民団体の前身「朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」は、戦後に放置されてきた県内の犠牲者を追悼し、強制連行の問題を広く伝えることなどを目的に1998年に市民らによって設立された。
 建てる会は2001年に追悼碑建設用地の提供を求める請願書を群馬県議会に提出し、全員賛成で趣旨採択された。2003年に当時の故小寺弘之知事が用地の提供を決めた。
 碑文について、「強制連行」という言葉を盛り込むことなどを主張する建てる会と、認めない県との間で交渉を重ね、2004年に建立された。
 碑には、アジアの人々との真の友好と連帯を結び、平和を実現する基礎にしたいという思いなどが込められている。(東京新聞2014年7月23日 朝刊)

 それでは政治的な発言とは何か、ということになるけれど、これについては産經新聞が説明している。ま、産経のことだからあまり宛にはならない。

「碑文に謝罪の言葉がない。今後も活動を続けていこう」(2004年)、「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」(2005年)、「戦争中に強制的に連れてこられた朝鮮人がいた事実を刻むことは大事。アジアに侵略した日本が今もアジアで孤立している。このような運動を群馬の森からはじめていく」(2006年)

 どこがいけないのか理解に苦しむ。私たちの国は今自分たちが何をしたのかをうやむやにしていこうとしている。こういう記録をどんどんなくしてしまって、書物も嫌中、嫌韓のものでいっぱいにしていけば、あの歴史上の行為もすべて消し去ることができると思っている。
 戦前のあの愚かな戦争に突っ走っていった日本中心主義の再来そのものである。私たちはやってしまったのだ。そこから目をそらしてもやってしまったことはやらなかったことにはならない。