ほぼ足りてまだ欲 その先

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70年

 今年から来年にかけては次から次に「あれから70年」がやってくる。今日は「カウラ脱走事件」から70年だそうだ。日本でも少しは知られるようになったのか、相変わらずほとんどの人が知らないのか、よくわからないけれど、知っていて良いことの一つだろうと思う。
 ご承知の通り、戦争中、東条英機が戦陣訓なるものを発表し、名誉ある帝国軍の将兵はこれを守ることとされた。そこに「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励してその期待に答ふべし、生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ(『戦陣訓』「本訓 其の二」、「第八 名を惜しむ」)」とある。
 カウラ事件を語る時に、必ずこの戦陣訓が語られる。それはなぜかというと、カウラの捕虜収容所に収容されていた日本人捕虜(徴用、民間人も含む)はどちらかというと何不自由なく、のんびりと暮らしていたというのに、一部のその気になった連中のアジ演説にこれがもちろん引用され、まさかそんなことにはならないだろうと一人一人が漫然と思いながら、「決起するか否か」の投票に○を書いた。どうせみんな今更そんなことをするのは面倒だし、嫌だと思っているけれど、×を書いたことが後にわかったらそれこそいやだという気持ちで○を書いた。するとほとんどの捕虜がそう書いてしまったものだから、みるみるうちに決起することになった。
 捕虜となっていても、敵を手こずらせればこれも一つの戦いだというアジは結構説得力がある。いくらそんな程度のことで連合軍がトラブるわけがないとはいえ、彼らは結構真剣だった。
 収容所がいっぱいになってきたので、将校と兵を分離管理しようという豪州軍の計画がどこからか漏れて、これを機会に決起だとなったわけだけれど、監視所に機銃を備えているというのに食堂のナイフを研いだものや野球のバットで立ち向かって勝つわけがない。それでも豪州兵は4名彼らに撲殺されている。逃げ出した捕虜も、牧草地のど真ん中で育当てもなく、近所の民間人に発見されてはまた捕らえられたという。
 終戦後、豪州は原則日本人の滞在を許さず、一部の国籍取得者以外は日本へ帰還させた。無事に帰ってきた人たちも、まさか捕虜になっていたということもなく、暮らしたそうだ。今日は現地の記念式典に93歳の元捕虜だった人が参列したのだそうだ。
 私も1996年の式典に参加したことがある。今もある日本庭園で豪州裏千家の皆さんのお茶をいただいた。

生きて虜囚の辱めを受けず―カウラ第十二戦争捕虜収容所からの脱走

生きて虜囚の辱めを受けず―カウラ第十二戦争捕虜収容所からの脱走

カウラの風

カウラの風

カウラ日本兵捕虜収容所

カウラ日本兵捕虜収容所