ほぼ足りてまだ欲 その先

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台風の中

 上野鈴本が中席夜の部のトリが林家正雀さん。芝居噺といったら正雀さん。もう他の人のはさておき、正雀さんの芝居噺は聴きたい。いつぞやは京都の南座前進座の双蝶々公演でまず正雀さんの噺がついているという回があって、そこまで聴きにいったというくらい。
 なんで台風の中今日行ったのかといったら「お冨与三郎 木更津」で、明日「お冨与三郎 島抜け」と連続ものになっている。で、明日も聞きに行くつもりで、今日行った。ところが想い出したら明日は午後4時に医者で栄養士の相談に行かなきゃならない。どうせ食べ過ぎだといわれるに決まっている。果たして間に合うだろうか。
 で、このお冨与三郎なんだけれど、私が最初に知ったのはもちろん春日八郎のあの歌だ。「粋な黒塀」ってなんだろう、「あだな姿」ってなんだろうと子ども心に不思議だった。当たり前だ。そんなことがわかるガキは気持ち悪い。
 その次は三木のり平・八波むとしの「雲の上団五郎一座」だ。あれはおかしかった。その次は多分歌舞伎だろう。与話情浮名横櫛だ。正雀さんの説明によれば瀬川如皐が戯作にしたのだけれど、その元を辿ると、元はといえば落語が始まりなんだそう。今じゃ誰もそうは思っちゃいないんじゃないか。
 この話、実はエライ暗い。与三郎がなんで江戸から木更津なんかに行ったのか。鼈甲問屋の若旦那でエライいい男。奴が店に立つというと、近郷近在の女という女が奴を一目見ようと集まって来ちゃあ店の商品が売れるというわけで、エライ持てよう。
 ある日一緒に中へ繰り出した男が自分がちっとも持てなくて、持てたのは与三郎ばっかりで頭にきたから帰りの船で与三郎に絡み、殴ろうとして自分から川に落ちて死んじまう。その時の船頭が店を揺するのに業を煮やして、おじさんが暮らす木更津へほとぼりが冷めるまでと、所払いになった先の木更津で地元の親分、赤間源蔵が江戸で博打に勝ちに勝って儲けた金で身請けしてきた深川の芸者、お冨と遭遇。そこで二人は親分の留守中に密会。親分と子分にぎったぎったに斬られちまうが、ロウソクで血止めをして命は助かる。お冨は海にドブンと身を投げちまう。
 今日はそこまで。明日は先代の馬生で一度聴いたことがある「島抜け」だ。あれだって、暗いんだ!
 今日の前座ははん治の弟子の小はぜ。入門して2年半。こいつはきっとどこかの落研に違いない。二つ目は林家扇(せん)女性の噺家。木久扇門下。北海道恵庭の出身。そういやぁあとから上がってきた誰かが木久扇の陰口言ってたなぁ。「つぐような名前じゃねぇ」って。いけねぇ、いけねぇ、思わず笑っちゃったよ。「元犬」。そういえば木久扇は先代の正蔵の弟子だ。
 仙三郎社中(この人たちとの遭遇率高し)、五明樓玉の輔(予期してなかったから驚いた。小朝門下の兄弟子圓太郎の代演でしょ?)、桂籐兵衛(「湯屋番」まくら)、大空遊平・かほり(面白いよ!久しぶりに見た)、春風亭百栄(ももえ)(道具屋 どっかに訛りがあんなぁと思っていたら、清水の出だって。芸協の芸風だよね。)、古今亭菊太郎ー園菊さんの弟子。(へっつい幽霊)、カンジヤマ・マイム(彼も久しぶりに見た・・寄席にいかねぇんだからね、そもそも)、柳家はん治(新作)、柳家小菊(相変わらずお綺麗だこと!この日鈴本にいた客は吉川潮のことを知ってんのかね?)、林家正雀