ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

昨日の散歩

 昼飯を食ってからやおらその気になって家を出た。どこへ行くという目的もないままだった。とりあえず表通りを歩こうと、集合住宅の裏口を出た。
 すると後ろから幼い子どもの声で「すみませぇ〜ん!」という。振り返ると、小学校にまだ入ったばかりと覚しき小さな女の子だ。「なんだい?」といったら「すみません、入れてください」というのだ。なんだい?と思ったら「鍵を持って出なかった」というのだ。そりゃ入れてあげても良いけれど、家の鍵も兼用になっているんだから、それじゃ家には入れないじゃないか、といったら「うちには(親が)いる」というのだ。だったら入り口でピンポンすれば良いじゃないの?といいつつ開けて入れた。
 「今度は表へ回ってピンポンするんだよ?」といって入れたが、念のためと思って部屋番号を聞いたらちゃんと答えるのだ。実は裏から表へ回るにはグルッと迂回しなくちゃならない。幼い子どもだったら入れたけれど、これ、おばさんだったらすぐさま疑うべき行動なり。実はそういう上手い手だったりして、なんぞと思ったり。自分も随分疑い深くなったもんだ。
 で、とりあえずずんずん南へ歩く。あっちもこっちもこの月は祭りが続く。うちの方は今度の週末が大きな祭りだけれど、まったく一緒の時期に小さな神社もそれぞれ祭りになる。そうしないと、氏子町会の子どもたちも可哀想だ。前に住んでいた地域の小学校はその大きな祭りの氏子町会に住んでいる子どもたちは早帰りになったものだった。そうしないと子ども神輿が出ない。土曜日はお昼時には寺の裏の空き地に全町会の神輿が集合する。それに間に合わない。如何に祭りの方が優先かということがわかる。集まった神輿が大人神輿と子ども神輿が組になって、隣接する神社境内で御霊を入れていただく。そして神様の入った神輿を町会に持って帰って、練って見せびらかすのである。
 子どもにとってお祭りというのは露店が軒を連ね、日頃になく人が家に来て賑やかになり、わぁわぁと楽しいものだ。そしていつか、自分も大人神輿にデビューする。そうすると大人たちの見る目が違ってくる。そして悪いことも覚えるというワクワクする週末になる。
 歩いているうちに地下鉄の入り口にやってきたから、5つ分だけ乗って、歌舞伎座の傍で降りる。人でごった返しているのはそろそろ夜の部が始まるのかも知れない。大きなスーツケースを転がしている外国人にも結構遭遇する。
 久しぶりに地下道を通って昭和通りをこぐり、三原橋をこぐる。この季節は上を通った方が数段気持ちが良いのに決まっているし、いろいろな人を見ることもできようというものだけれど、この地下道は随分通っていない。半世紀ほど前は良くここを通った。なんとなく昭和前期の匂いがした。金もないのに、うろうろしていた青春時代のかけらが漂っていた。営団地下鉄の神田駅の須田町出口へ通じる地下道や、上野の地下道に通ずるうらぶれ感があった。それが辛うじて残骸を晒しているのが東京メトロ銀座線浅草駅に残っている。
 そんな三原橋地下道がいつの頃か、通りかかったらあっけなく薄っぺらな取りあえず適当に上辺を繕った雰囲気になってしまっていた。随分つまらない通路になった。匂いもしない代わりに香りもしない。新建材(もう新しくないけれど)の様な有様だ。三越が綺麗になって、三原橋のやさぐれは撤去され、埃がこびりついた新建材になっている。
 三越は地下一階が化粧品売り場で口を開けて呼吸しないと、息が詰まる。エスカレーターで外に出る。なんと山野楽器が定休日で閉まっていた。そうか、そういえばこの店には昔も定休日があったなぁ。そういえばデパートだってかつては定休日ってのがあったものだ。近所の店も一緒になって休みを取って、周辺全体が静かだった。
 教文館書店に入ったら、二階で二冊見つけてしまった。そのまま持って下に降りていつもの週刊誌と月刊誌を買った。月刊誌は交通会館の蕗書房で買うと決めているのだけれど、つい目にしてしまったので買っちゃった。すみません。

週刊金曜日 2015年 5/8 号 [雑誌]

週刊金曜日 2015年 5/8 号 [雑誌]

世界 2015年 06 月号 [雑誌]

世界 2015年 06 月号 [雑誌]

 巻頭の読者談話室の最初に掲げてある19歳の大学生の投書に眼が惹きつけられる。小熊英二の連載が完結した。一冊の本になるんだろう。小熊は今は慶応の先生だけれど、岩波で世界の編集者だったとどこかで読んだことがある。
反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 森本あんりという名前を見ただけだと女性と思われそうなユニークな名前だ。今では国際基督教大で副学長という肩書きを持っているそうだけれど、1999年に私があの大学に入った頃は何人かおられる「キリスト教概論」の授業を担当する聖職者の方のお一人だった。私は永田竹司先生の授業だったので森本先生の授業は聞いていない。入ってすぐの日曜日にわざわざ1時間半をかけて礼拝に行った時のお説教が森本先生だった。「これからも来られます?」と聞かれて、いや登録してある教会があるんです、とお答えしたらがっかりされた風情だったのを記憶しているけれど、多分先生は何も覚えておられないだろう。この本が2-3ヶ月前に出版されているのは知っていたけれど、森本先生のスタンスにはあんまり興味がなかったので、手にしないでいたのだけれど、どこかで誰かが取り上げているのを小耳に挟み、「ン?」という感じだった。私の興味に触れる部分が書かれているような気がしたので確保した。 昨年の暮れに既に出版されていたもので、私の目からこぼれていた。そもそも筑摩選書は私は常に目を配っていたつもりだったのだけれど、記憶にない。これまで思いもしなかった昭和初期の如何にも元銀行家が気がつきそうな視点でこれは一度読む必要があるだろうと思うに至った次第。
日本原爆開発秘録 (新潮文庫)

日本原爆開発秘録 (新潮文庫)

 3年前に新潮社から出た「日本の原爆-その開発と挫折の道程」の文庫版だけれど文庫版のあとがきと、それに続く吉岡斉との対談が非常に興味深い。保阪のこの先に対するポジションが推察されるような気がする。確かに今この国で原発に至る開発の歴史、関与の歴史を振り返っておかなくてはならないことを痛感する。
 さて、本屋を出てすぐのアップルに入った。別に用事があるわけではないのだけれど、MacBookAirよりも軽いMacBookは一体どれほど軽いのかというのを実感しようと思ったのだ。(それにしてもあの「ゴールド色」は如何なものか。品のかけらもない。ジョブスが生きていたら決してやらなかっただろう。)データーを見ると920g(「重量はシステム構成と製造工程によって異なります」ってなんだ?)で、Air(11インチ)が1,080gと書いてある。160gも軽い。なんでairよりも軽いんだ!という突っ込みを入れたい!しかもMacBookは12インチモニターだ。店でいじっていてふと気がついたら同じテーブルでいじっていたのは私を入れて三人とも爺だった。つまり「軽い!」需要は年寄り相手だということを実証しているのだろうか?
 郵便局に寄った。銀座の中央通りに面して超高級紳士服屋の「英國屋」があるが、あのビルの3階に郵便局がある。英國屋の横を入るとエレベーターがあってそれで3階に上がる。エレベーターというものに乗っていつも不思議だなと思うのは、先に乗って扉を開けて人が入るのを待ってあげたのに、降りるときにはその人が先に降りて、彼が順番札を先にとってしまうのだ。だったら待っててやるのを止めれば良いのだけれど、なんだか理不尽な気がする。
 日本橋まで来て丸善の地下に入った。ルーズリーフのホルダーに気が利いたものがないだろうかと思ったのだけれど、まったく種類がなかった。以前から軽い折りたたみの傘を並べてあるのは知っていたのだけれど、昨日はたまたま若い店員さんが立っていたので、さすとどれほどの大きさになるのかと聞いたら60cmですと。この大きさの意味が爺にはわからない。軽いってどれくらいの重量?と聞いたら「わからない」といいながら持たせてくれたら、そりゃ軽い。しかし、広げるのにはちょっと工夫が必要だ。それでも小さくなって軽いは魅力。
 まだ歩きがたりないな、と思いながら歩くうちに神田まで来た。まだ歩けそうだと交通博物館のあとを見ながら神田川を渡り、秋葉原に入ったら、こりゃいけません。中国人買い物客とメイドの格好をした歳のわからない女性たちに辟易して末広町から地下鉄に乗った。交通費320円。12,060歩。