ほぼ足りてまだ欲 その先

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スポーツ選手

 清原和博覚醒剤で捕まったからというわけではないのだけれど、だからこそ書く気になったといっても良いが、スポーツ教育というものがどこまで本当に教育なのか、これまでずっと疑問に思ってきたことが多々ある。
 野球が随分長い間日本の教育スポーツの本流だったことはあまり間違っていないだろう。あとは柔道、剣道といった日本の武道だったか。
 サッカーが教育スポーツに加わってきたのは全国区という意味ではそれほど昔のことではないだろう。高校サッカー選手権が毎年正月に行われていて、今年は94回だといっているけれど、40年ほど前までは統一されていたわけでもないし、東京オリンピックの時だってサッカーの券だけは有り余っていたことを考えても、やっぱりJリーグが始まるまで全国的というには無理があった。
 だから、それまでは静岡と埼玉という地域に実力が偏っていたのだろう。なんたって1970年頃の清水市には5-6部にわたる社会人サーカーリーグがあったし、幼稚園生までサッカーをやっていた。草サッカーの全国大会が始まったのも静岡だった。
 で、野球に典型的なのは、小学生からもう既に全国レベルのスカウト合戦は始まっていて、中学、ジュニアリーグ、そして高校に至っては、もう野球以外のことはやらなくて良くなってしまった野球エリートでなくては注目を浴びなくなってきてしまう。
 つまり、甲子園至上主義となる。甲子園に出場した、ベンチに入った、出場実績を持つ高校の部員だった、声をかけられたことがある、という順番に能力が評価されるわけだけれど、そこに至るには通常の学校の勉強と両立するのには全くの無理がある。例えば早実からヤクルトへいってほとんどアイドルのようだった、あの荒木大輔ですら、ごく普通の生活をしようとしたけれど、そうはいかなかったといっている。
 プロ野球へいってあがりになるのだけれど、途中からどんどん振り落とされていく。高校で野球を断念した連中の中には、高校卒業も断念してしまった連中が数多く存在する。高校を卒業して、プロや大学、社会人からも声をかけられなかった連中の中から、今では専門学校で野球をやるという場まである。独立リーグで野球をやるという道もある。もちろん、プロといっても名ばかりで、社会人チームに受け入れられる方がまだましだったりする。それでも、趣味で草野球ならまだしも、相当のレベルで野球をするのもせいぜい40代が精一杯ではないか。もちろん草なら下手をすれば70代まで行けるかも知れない。
 しかし、それは暮らしが安定していて初めての話だろう。夢破れ、途中で断念したときに、じゃ、どうやってこれからの生活の目標を持つのか。そんなのはスポーツをやっていない連中でそれの見つからない奴なんていくらでもいるじゃないか、といえばそれまでだ。
 しかし、一筋に邁進しなくちゃダメだ、よそ見していたら実現しないぞとハッパをかけておいて、そのあとをどうするんだ!?といわれたって、わかるわけがない。
 アメリカでも、各大学がフットボールの選手をスカラシップを出して集める。しかし、登録して活躍できる4年間を過ぎても卒業単位が足りない学生をそのまま放り出して知らん顔をすると問題になった。しかも、あの競技の場合、身体に大きなダメージを抱えている連中が多い。
 華やかな本番の裏には辛酸をなめる連中がたくさん討ち死にしている。