ほぼ足りてまだ欲 その先

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悩ましい

 旧大日本帝国陸軍はアジア各国へ侵略して、やりたい放題でした。なにしろ街の名前を日本名にしちゃったり、植民地では日本語を強制して、来ましたからね。今になって、日本名の現地の人がいる!とか、日本の歌を唄えるじいさまを発見した!なんてテレビでやって喜んでいますが、学校で唄わされたりした、という証拠なんですよね。
 そういう事実を語り継いできませんでした。南太平洋諸島ではさんざん現地の人たちに労働させた挙げ句の果てに、米軍が迫る中、お前達をこのままにしておいたら米軍に何をいうかわからん、といって虐殺してしまったなんて話も現地では語り継がれていても、日本ではほとんど語られていません。語られていない、文字になっていない、だからそんな史実はなかったというのが、平然と主張されちゃいます。
 先日のNHK小野文恵アナウンサーがルソン島に祖父の足跡を追う番組でも、マニラのあるホテルに日本軍が現地の女性を閉じ込め、慰安婦とした事実を当の被害者の口から語らせています。多くの日本軍侵略地で同様の行為がなされていたであろうことは容易に想像されます。
 でも、そんな史実を目の前に突きつけられると、「そんなのは証拠がないじゃないか」といって否定したくなります。私たちのオヤジ連中が戦地でそんなことをしてきたなんて、想像もしたくありませんからね。だけれども、実際現地では語られ、あるいは胸にしまい込まれてきたのです。当の被害者本人はそれを語ることによって、フラッシュバックしてしまうのはイヤだから、ほとんど語られない。加害者もそんなことをしてしまった自らの罪深さに想い出したくもないから語らない。だけれども、事実は事実として存在していたんだろうということでしょう。
 韓国国民に対しても、様々な行為がありました。筆舌に尽くしがたいほどのことが実際に行われてきました。でも、もういいじゃねぇか、という声が日本では段々開けっぴろげになってきました。遠慮がなくなりました。平然と文字にされて本屋の店頭に置かれるようになってきました。怖ろしい状況を一体誰が許しているのでしょうか。
 私個人は、本当に申し訳なかったと、自分はその時代に生きては来なかったけれど、謝りたい。
 しかし、外地で、日本でも韓国でもない、外国の街で韓国の人たちに遭遇すると、あ、こいつ日本人だ!とわかったとたんに、あたりの雰囲気が「無視」に傾きます。お互いにです。現に目の前にいるにもかかわらず、いないかのような空気になります。
 たった一言、私が「アンニョンハセヨ!」と声をかけさえすれば、空気は変わるのだろうに、それをいう勇気が、その雰囲気に負けてしまいます。
 いつもあとで、後悔します。悩みます。