ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

nsw20722007-03-05

何でなのかわからないのだけれど、昨夜は21時くらいからもう眠くて眠くて我慢成らず、風呂に入ったらあっという間に就寝。途中猫が起こしに来たり、夢の中で歌舞伎のセリフをパソコンの中でどこかからダウンロードしていたりしたけれど、気がついたらまさに午前5時。なんだか湿度の高い雰囲気の朝である。どうもニュースでは今日はどんどん風と雨に見舞われると云うことになっているらしい。本当に夕方出かけるのかね?

参議院予算委員会

 無理矢理衆議院を通してしまって、今日から参議院予算委員会が始まった。この国の議会制度はやっぱり考え直さないとこれじゃ意味がない。参議院でどんなことが起きようが後は時間さえすぎればこの予算案は成立する。安倍某は「格差がないと私はいったことはない、いつの時代でも格差は存在します。頑張った人が報われて当然です」と強調。確か彼は「格差というものがですね、あるとすればですよ、・・」とこれまで何回も発言している。つまり、そんな時には格差は存在しないといっている。ただ使い分けているに過ぎない。そして彼は今本予算の論議をしている段階で補正予算のあるなしなんてことはいえない、世の中には何が起きるかわからないからだといっていたけれど、そんなスタンスで予算を議論するなんて無責任も甚だしい。そんなことでごまかすのであれば、誰が彼の立場に立ったとしても良いんだと云うことである。どこかの企業の経営者と同じで、経営の舵を切るための洞察力を必要とせずにそのままの路線でいって、その結果まずいことが起きたら辞めちまって、とんずらしちゃうと云うのとなんら変わらない。
 松岡某の報告を必要とする団体の事務所は議員会館にあって、事務所費賃料、光熱・水道費は全て無償であるにもかかわらず、どうやら報告書の中には平成17年の光熱・水道費を507万円と記載されているらしい。で、なんでそんなに計上されているのかという民主党小川議員の質問に対して、松岡某は「今そんな中身は知らないけれど、調べてみて“必要であれば”報告する」と云って終わる。つまり自分が必要ではないと判断すればこの507万円を何に使ったかを国民の前に説明する必要がないと言っているということである。勝手だねぇ、あいつは。お粗末!

中国、国防費

フジサンケイ・ビジネス(時事)

 姜恩柱報道官同国の2007年の国防予算が前年実績比で17.8%増の2509億2100万元(約5兆3300億円)に上ると明らかにした。2006年末に発表された国防白書を基に当初予算で比べると、23.6%の大幅な伸びとなった。国防費の2けた伸びは19年連続。(中略)同報道官は「2005年の国防費は米国の6.19%、日本の67.52%にすぎない」と強調。「中国はいかなる国家とも軍備競争を行う能力や意図はなく、いかなる国家に対しても脅威にならない」と述べ、「脅威論」緩和に努めた。(北京 時事)

 どこの国も同じ様なことを主張するんだ、という好例。そんな「意図はない」からどこにも「脅威には成らない」と云うんだけれども、脅威になるか成らないかは周りにいる国々が評価するべきであって、自分でそんなことを主張するのは大間違い。それは単なる自己満足に過ぎないのである。それはどこの国も同じだ。しかも、この中国の国防費は中身が公表されていなくてどこまで入っているのかわからんというのだから、なにをか況やである。しかし、この国も人のことをいえるようなことをやっているとはいえないのが悔しいところだ。

154年

 黒船が浦賀に来てから今年の7月でようやく154年になる。つまり、まだ154年にしかならない。この国は凄いなぁ、こんな短期間にこんなことになっている、といっても他の国もどんどんあっという間にというか、あれよあれよという間にこんなことになってきてしまった。近年の中国なんてそのうちどこだかわからないくらいの状況になっていくのだろう。しかし、まだたかだか154年しか経っていないのである。わずか154年。そんなに簡単に民族に染みついたものは代わらないのだ。たまたま手に入れたものが表面ツラをいろいろと変えるようなものを生み出しているかのように見えるわけだけれども、別に人間の存在そのものの意味が変わってきたわけでもあるまいし、思考的にも大きな変革を招くわけでもない。たかだか154年ほどで正義が発達するわけでもないし、民主主義という画期的な思考に染まるわけもない。今日の参議院予算委員会を見ていたって154年前の話と大きく変わっているかと云えばそんなことも感じられない。
 あんたはそんなことを云うけれど、わたしゃあんたの云うことなんて知らないね、と云っている言葉の投げつけ合いでしたかなくて、生産的な方向にやり直そうという動きなんてない。
 昨日のどこかのテレビで歌麿が町娘を浮世絵にしたら、「名前を出すのはならん」といわれたから、じゃ、ってんで判じ絵であらわすことにした。そしたらお上がそれもならぬという。あぁいえばこういうでかわしていく知恵は凄いなぁと思ったら、今日はお上の立場の大臣が「ここでうろ覚えで云って間違ってはまずいから、ちゃんと調べてから「必要だったら」お答えしよう」と旨い返答。これはあとになって「必要だと思わないから」云わないという結論になるのが見えている。
 文化はちゃんと継承されているのは凄いけれど、ま、文化といってもたかだか154年。大したこたぁない。「わが国の伝統であります!」というのもよく見てみると良いかもしれない。

先輩

 プロの歌い手の先輩から電話。「おい、伊東屋に行こうぜ」てんで午後遅く、銀座伊東屋9Fギャラリーで合流。5時を過ぎて芋焼酎を戴きながら美味しい寿司をまた戴いてしまった。やはり、持つべきものは先輩ですなぁ。先輩!ゴチになります!店を出た時は多分強風が最大だった時ではなかったろうか。家に着いてみるとズボンの裾はもう勿論びしょびしょで、傘を差していたにもかかわらずコートも帽子もびしょびしょであった。ベランダにも吹き込んでおり、さすがにあの猫も出ようとはしなかったほどである。