ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

nsw20722007-04-24

《写真:こんなに細い歩道(これを歩道というのだとすればの話だけれども)でもこうして自転車と歩行者が一緒に通ることを許されているということなのだけれども、本当にこれで良いと思っているのだろうか。実際には通行量が少なくて、それで良いのかもしれないけれど。この歩道は車道に向かって傾いている。》

「居直り」 半分って、いくらの半分だよ?

北陸電力臨界事故隠し、永原社長は減給 社内処分発表 朝日新聞 2007年04月23日22時59分
 北陸電力(本店・富山市)は4月23日、1999年の志賀原子力発電所1号機(石川県志賀町)での臨界事故隠しなどを受けた社内処分を発表した。事故当時発電所長代理として隠蔽(いんぺい)協議に加わった辻井庄作常務は同日付で辞任、当時社長だった山田圭蔵相談役は30日付で辞任するが、永原功社長は減給50%(3カ月)で現職にとどまる。
 同社によると、辻井常務は役員へ支払われる退任慰労金は辞退したという。社内では辻井常務を除く取締役以上の役員全10人と執行役員7人、部長3人が減給処分を受けるほか、隠蔽協議に加わり今も同社に勤務する8人のうち3人が減給、5人が厳重注意。処分対象者は計30人に上る。また、すでに同社を退職している当時の発電所長は北陸原子力懇談会の専務理事を、原子炉主任技術者は転籍した関連会社を、それぞれ23日付で辞任したという。
 本店での記者会見では「代表権を持つ者が辞任しない点をどう思うか」「経営陣の刷新は考えなかったのか」「この処分で地元の理解を得られると思うか」など、処分の甘さを指摘する質問が相次いだ。
 永原社長は「厳正に処分したというイメージだ。地元の信頼を損ね本当に申し訳ない。再発防止対策の具体化を図って、新しい北陸電力ができたらいいと思っている」などと答えた。

 これだから電力会社ってのは傲慢だっての。「悪いのは俺じゃない、あの人たちだよ。俺はたまたまこの発覚した時にこの地位にいたに過ぎないんだから」ってんだろうか。目の上のたんこぶを追い出す手段として吐き出したというんじゃないのだろうか。気分悪いなぁ、こういう話は。こんな話や松岡某の話を聞いていて、一体誰が「徳育」だなんてことを口にできるというんだろうか、と思うのである。それが必要なのは学齢期の子どもたちではなくって、大人だもの。
 「隠さない風土と安全文化の構築」に向けて、新しい北陸電力を創り上げます。《北陸電力 2007年4月》」という資料が北陸電力のサイトにアップされている。この資料の裏面とされているところには「志賀原子力発電所1号機の臨界事故の概要について」という説明がある。そこには実状が説明されているらしいのだけれども、こんな記述がある。

2.意思決定の過程、事故記録の改ざん
 事故後、所長以下関係者が発電所へ集まりましたが、2号機着工時期などへの影響を考慮し、最終的に所長が外部に報告しないことを決断しました。その後、発電所と本店原子力部等との間でテレビ会議が行われましたが、発電所から「誤信号であった」との結論が報告され、テレビ会議は終了しました。このことから、発電所の意思決定に対する本店の関与は認められませんでした。
発電課長は、誤信号であるから、引継日誌に本事故に関する記述をしないように指示しました。また、本事故を隠すため、炉心中性子束モニタの記録紙に「点検」と記載しました。

 つまり、この「電気保修課が、作業票に試験手順を記した試験要領書を添付」しなかったことから波及した事故は、誤操作から発生したというのが北陸電力の説明だということになる。しかも、発電所の幹部は「2号機工事への影響が懸念されるという動機で」外部に内緒にした。と、同時に北陸電力の本店にも内緒にしたということだと説明されている。ということは発電所幹部は本店を裏切ったということになる。こんなことを社内外に知られたら何をされるかわからないから、なにもなかったことにするという判断を現場が独自に下したということになる。
 「事故を隠し実施すべきことをしなかった原因」のひとつとして、「議論できない組織風土」をあげており、「当時は「言いたいことを言えない」、「言っても無視される」ような組織風土がありました。」としているところをみると、社内で自覚できる程の悲惨な状況であったということだろう。そんな状況はどうやったら改革することができるというのだろうか。北陸電力は「隠さない仕組みの構築」として下記項目をあげている。

  • 迅速かつ確実な対外通報・報告体制の整備:全ての異常事象を迅速に国へ通報します。
  • 「トラブル対策会議」運営ルールの明確化:決定主体・プロセスを明確に定めます。
  • 発電所情報の国及び経営層・原子力本部への伝送:発電所の状況を確認できる情報を常時オンラインで伝送します。
  • 原子炉主任技術者(炉主任)の地位と権限の強化:職務に専念できる職位にします。
  • 企業倫理情報窓口(ホイッスル北電)の強化:弁護士へも通報できる制度にします。

 今更こんなことを云いだして、それが通用すると考えている組織体に私たちはこんな危険極まりないプラントを、こんな危険極まりない地形に構築し、運転することを任せているのである。彼らは決してこの原子力に頼るエネルギー源をこの国から追放されることなどあり得ないと思っているから大安心なのであろう。

求人有効倍率、二倍

 東京新聞(2007年4月24日 朝刊)によると「リクルートの調査部門のワークス研究所が23日発表した2008年3月卒業予定の大学生・大学院生に対する民間企業の求人意向調査によると、求人総数(推計)は前年に比べ13.0%増の93万3千人とこれまでのピークだったバブル期を上回った。景気回復と団塊世代の大量退職をにらみ、企業の採用意欲が一段と強まっている。求人倍率は前年の1.89倍から2.14倍に急上昇し、16年ぶりに2倍を超えた」というのだから全くもって驚いた。バブル期といえば、本当に人手がなくて企業は内定学生をあの手この手で囲い込んで他に色目を使わせないように苦労をしたという時代である。それを今や上回っているというのである。
 それでいてかたやワーキングプアといわれる低所得の若者はそのまま放置されている。事態は深刻だ。今年の新卒、来年の新卒は引く手あまたでありながら、彼らの先輩にあたる年代には放り出されたままの若者がおり、低賃金労働を余儀なくされているのである。これを格差といわずになんと表現するというのだろうか。自由主義国家とはすべからく自らの力によって自由に道を切り開くことができるのだ、とするのであれば、その力を発揮する上で最初から存在する出発点の違いは何らかの方法を用いて埋め合わせなくてはならない。それも競争の結果なんだとする解釈で乗り切ろうとするとのであれば、ひとりひとりが社会に対して疑心暗鬼になって暮らすことになるだろう。それを国家と呼ぶのかと云われれば、とても近代国家と呼ぶわけにはいかないだろう。むしろ無法地帯と呼んでも差し支えがないくらいのものではないだろうか。金を持てば、そして暴力的な力を持てば、もうそれで社会を我がものにできてしまうのではないのか。
 そうした社会では利他的に働こうとする高邁な思想に目覚めた人々の労働すら無視をし、社会的に貶め、手助けすることなく放置することに躊躇がないというよりはフットライトを当てることがない。厚労省が現場の声を一切無視して今回改悪しようとしている「社会福祉士介護福祉士法」は、搾取できるところからは次々に徹底的に搾取しようというプロセスにあるといっても過言ではない。なにしろ、現時点で無理矢理押しつけている低報酬労働により負荷をかけて行こうとしているとしか思えない。それでなくても介護現場の報酬は信じられないほど低い。訪問介護員に至っては交通費も出ていない。施設で働く多くの場合の若い介護担当者の報酬についてもとてもまともに結婚していこうという報酬ではない。だから定着率も低い。家族すら引き受けないで、できるだけ社会的支援に委ねようとする介護という仕事に自らチャレンジしてくれる若者を一体全体なんだと思っているのかと腹立たしい。
 そうした状況下で今でも働いてくれている現場にこれから600時間に及ぶ研修を条件付けて、それを経ずしては必須としようとする「介護福祉士」を得ずして介護従事を許可しないというシステムにしようとしている。そうだとしたら、必然的に報酬は上がらなくてはならないが、その保証は今どこにも提示されていない。いや、その前に現場の従事者が激減するのではないだろうか。今回の法改正が一体どこから発想されてきたものなのか、非常に重要ではないだろうか。とにかくこの法改正についての議論があまりにもおざなりであることは間違いがない。

織原城二

 先ほどテレビのニュースで彼に無罪判決が出たと聞いた。え!?どういうこと?ようやくアップされた朝日新聞の説明によると「ルーシーさん事件では織原被告と死亡とを結びつける直接的な証拠がなく、死因も特定されていない」ということのようで、他の件では織原は無期懲役を判決された。当然検察はこれで終わりにはできないのでは?あのルーシーさんのケースを除外したとしても彼は8人の女性に準強姦、あるいは準強姦致傷を犯し、オーストラリア人女性を準強姦致死にいたらしめた犯人、しかもまごうことなき成人がなにゆえ無期懲役の求刑で追われるのかが理解できない。少年法の「14歳→12歳」よりもこうした被害者の尊厳を土足で粉々にしてしれっとしているような犯罪に対しての刑罰を真剣且つ早急に検討するべきではないのだろうか。織原が更生できるとでもいうのだろうか。

ヌッテラ


 こちらの方の書き込みでこの「ヌッテラ」という文字を見て、これは一体なんのことをいっているのだろうか、世の中にはどんどん私の知らないものが普遍的なものとなっていくことが普通なので、やっぱりこれは知っておきたいなと、ググって見るのだ。するとお〜っ!懐かしや!「Nutella」のことなんである。あのパンに塗って食べたスプレッドのことなのだ。朝トーストにあれを塗って食べてでかけていた期間は結構ある。てっきりオーストラリアのものかと思ったら、やっぱりそんなことはなくてイタリア産もあるし、オランダ産もあるんだそうだ。見つけた、見つけた、米国のサイトだけれど、こちらのサイトにnetellaの説明が書いてある。1940年代にイタリア人のPietro Ferreroという人が創り出したものなのかぁ。最初はpasta giandujaと呼ばれていたんだとしてある。パスタじゃなくて、ペイストのことなんだね。この名前の由来はnutから来ているんだって。イタリアから米国に入ってきたのは1983年だというのだからそんなに昔のことじゃないね、と私なんかは思っちゃうが、実はもう25年も昔のことだ。オーストラリアのnutellaのサイトはなぜか工事中。(写真はその米国のサイトから。)