ほぼ足りてまだ欲 その先

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求人有効倍率、二倍

 東京新聞(2007年4月24日 朝刊)によると「リクルートの調査部門のワークス研究所が23日発表した2008年3月卒業予定の大学生・大学院生に対する民間企業の求人意向調査によると、求人総数(推計)は前年に比べ13.0%増の93万3千人とこれまでのピークだったバブル期を上回った。景気回復と団塊世代の大量退職をにらみ、企業の採用意欲が一段と強まっている。求人倍率は前年の1.89倍から2.14倍に急上昇し、16年ぶりに2倍を超えた」というのだから全くもって驚いた。バブル期といえば、本当に人手がなくて企業は内定学生をあの手この手で囲い込んで他に色目を使わせないように苦労をしたという時代である。それを今や上回っているというのである。
 それでいてかたやワーキングプアといわれる低所得の若者はそのまま放置されている。事態は深刻だ。今年の新卒、来年の新卒は引く手あまたでありながら、彼らの先輩にあたる年代には放り出されたままの若者がおり、低賃金労働を余儀なくされているのである。これを格差といわずになんと表現するというのだろうか。自由主義国家とはすべからく自らの力によって自由に道を切り開くことができるのだ、とするのであれば、その力を発揮する上で最初から存在する出発点の違いは何らかの方法を用いて埋め合わせなくてはならない。それも競争の結果なんだとする解釈で乗り切ろうとするとのであれば、ひとりひとりが社会に対して疑心暗鬼になって暮らすことになるだろう。それを国家と呼ぶのかと云われれば、とても近代国家と呼ぶわけにはいかないだろう。むしろ無法地帯と呼んでも差し支えがないくらいのものではないだろうか。金を持てば、そして暴力的な力を持てば、もうそれで社会を我がものにできてしまうのではないのか。
 そうした社会では利他的に働こうとする高邁な思想に目覚めた人々の労働すら無視をし、社会的に貶め、手助けすることなく放置することに躊躇がないというよりはフットライトを当てることがない。厚労省が現場の声を一切無視して今回改悪しようとしている「社会福祉士介護福祉士法」は、搾取できるところからは次々に徹底的に搾取しようというプロセスにあるといっても過言ではない。なにしろ、現時点で無理矢理押しつけている低報酬労働により負荷をかけて行こうとしているとしか思えない。それでなくても介護現場の報酬は信じられないほど低い。訪問介護員に至っては交通費も出ていない。施設で働く多くの場合の若い介護担当者の報酬についてもとてもまともに結婚していこうという報酬ではない。だから定着率も低い。家族すら引き受けないで、できるだけ社会的支援に委ねようとする介護という仕事に自らチャレンジしてくれる若者を一体全体なんだと思っているのかと腹立たしい。
 そうした状況下で今でも働いてくれている現場にこれから600時間に及ぶ研修を条件付けて、それを経ずしては必須としようとする「介護福祉士」を得ずして介護従事を許可しないというシステムにしようとしている。そうだとしたら、必然的に報酬は上がらなくてはならないが、その保証は今どこにも提示されていない。いや、その前に現場の従事者が激減するのではないだろうか。今回の法改正が一体どこから発想されてきたものなのか、非常に重要ではないだろうか。とにかくこの法改正についての議論があまりにもおざなりであることは間違いがない。