朝起きると快晴
ちょっとは昔の町会に挨拶に行こう。
一年に一度、昔の顔見知りを見るのは意味がある。あの人も元気そうだし、この人もまだまだ頑張っていると云うところが見える。テレビでよく見る顔がいたりする。あぁ、あそこの娘ももうこんなに大きくなったんだねぇと自分の歳もしょうがないかと思う。同じ歳の連中に会うとすぐ孫は何人だという話になる。ひと頃我が物顔をしていた連中が今年は妙におとなしい。どうしたのかと思ったら親方が引退したんだという。町会の役員さんもホッとしたことだろう。だから祭というのは意味があったんだろうなぁ。それにしても方々から人が集まりすぎだね。肩を入れる気も起きない。また一年、みんなが元気でいられますように。
懇談会
いろいろなところで書かれているけれど「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の13人ってのはどうもこうもない。ひとりひとりをGoogleで検索し始めたんだけれど、どの人も同じ方向性にある人ばかりで、ウィッキペディア以外で最も引用先として出てくるのがなんと産経系の雑誌「正論」だったというのだからもう云うべき言葉を持たない。政府発表のリストも「懇談会委員」と書いてあるのではなくて「懇談会構成員」と書いてあるのを見ると、ある特殊な組織のいわゆる「構成員」を想い出してしまいそうである。これはもうすでに懇談会という定義ではなくて、「安全保障の法的基盤を再構築するぞぉ〜決起大会懇親会」とでもして、おぼっちゃまが経費を拠出して自宅でのホームパーティーにでもして頂きたい。
そもそもそんなにあちらさまの顔を立てようとするのなら、あちらさまから戴いたと主張しているものを変えちゃ失礼なんじゃないの?あ、だから変えないでその受け取り方を変えちゃおうということなのか。ならばそれを変えちゃおうという動きは必要ないんじゃないの??あれ?もう、なんだかわからないや、おぼっちゃまがやることは。
昨日噺家が「あの人ももう少し下手に出る方法を身につけたら少しは支持者が安定するんじゃないっすかねぇ」といっていた。ダメだよ、そんなことを教えちゃ。