ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

あ、そういえば

 何を検索していた時だったかもう思い出せないのだけれど(今時、思い出せないことばかりで今始まったことじゃないけれど)、ひょうんなことから「永田キング・ベースボール」を思い出した。子どもの頃、それほど頻繁にではないけれど、テレビに出てきてはステージ上で野球のコミックをやっていたグループだ。
 もう、何人いたのかも思い出せないし、どんなことをやっていて面白かったのかも思い出せないのだけれど、彼等が野球のユニフォームをちゃんと着て出てくるだけでワクワクした。当時の僕たちが関心を持っているスポーツは一に野球で二に相撲だったのだから、花相撲の初っ切りと一緒で彼等の野球コントは嬉しくてしょうがなかったのだ。
 「巨人、大鵬、玉子焼き」だって、スポーツがその二つしかないようなものだったんだからしょうがないんだね。

食彩の王国 - 薬師丸 - 高校

 朝のテレビ朝日食彩の王国は「悠久の中国 麺のルーツを求めて!」で山西省の麺を辿る。麺食いの私としては外せない。龍髭麺は凄いぞ。しかし、茹でるのではなくて、油に漬けてからオーブンで焼いてデザートにするとは思わなかった。さぞかしサクサクして美味しいんだろうなぁ。なんだかパイの類のようだ。「馬賊」の麺の打ち方が「バン!バン!」と驚くような音を立ててびっくりするのとは大違いだった。猫耳朶なんかはイタリアのニョッキのようだ。自分の気に入る味がするスープで食べたいなぁ。多分現地のスープで食べると食べ慣れない味と香りがして食べにくいのかも知れないと、いつもの臆病が出る。だから、旅先でも冒険ができないのだ。しかし、それにはそれなりの理由があって、消化器系がそんなに強くない私は様々なところで、現地のお店で食しては悲惨な目に遭ってきた。旨そうなんだけれど、ビビるのである。
 この番組のナレーションは薬師丸ひろ子で、昨晩は鶴塀のTBSテレビの番組(A Studio)のゲストだった。彼女は14-5歳で映画に出演しているんだそうで(あの辺の映画は殆ど観ていないので私はよく知らない)、当時は中学生だろう。「セーラー服と・・・」に出演したのは高校生の時で、あの映画の中で着ていたセーラー服は当時在籍していた高校の制服そのものだったのだそうだ。
 そういえば高校卒業の頃に彼女はその制服のまま、校舎の屋上で撮影した写真が、いずれかの写真週刊誌に掲載された。それを見て私は口をあんぐりとした。そこに映っているのは私が卒業した高校で、今なもうすっかりその面影もないが、その時の校舎はまだ古い、私が落語研究会を立ち上げた頃のあのまごう事なき校舎だったのだ。
 私が知る限りではこの高校の卒業生でタレントとして今でも活躍しているのは彼女と関根勤くらいだろう。かつては淡路恵子や、誰だったか名前を思い出せないけれど男性歌手もいたような気がする。研究者ではあの中根千枝が卒業生だと知って驚いた。もうそろそろ84歳くらいになられるのだろうか。もちろん淡路恵子、中根千枝はこの高校の前身である高等女学校の出身で正確にいえば学制が違っている。
 現在のTBSテレビの夕方の『総力報道!THE NEWS』(あの番組には花がないなぁ・・・)でアンカーをやっている元共同通信後藤謙次が私の2年後輩にあたるらしい。なるほど手元にある当時の高校の名簿を見ると(良くそんなものが残っているなぁ)、私が三年の時に、彼は1年H組に在籍している。そして理由が分からないのだけれど、彼の名前にアスタリスクが私の手でつけられている。彼のプロフィールをウィッキペディアでみると「趣味は落語鑑賞」と書かれている。ん?
 この高校が戦後に共学の新制高校になった1949年の一期生だったという男性数学教師が私の中学にいた。なにしろその頃は男子生徒が数えるほどで、校門の前で男子生徒が全員が集まってから固まって学校に入ったというのである。この教師が短気で暴力的な教師で往生した記憶があるけれど、彼の中にはこの時のストレスがトラウマになっていたんだろうか、なんてことはなかろうけれど。
 私が入学した1963年でもまだ一学年に女子が300名、男子が200名という遙かに女性上位の状態だった。都立高校には他にもいくつも元高等女学校だった高校があって、みんなそんな具合だった。だからそうでない都立高校はもちろん男子の数が女子を上回っていた。
 そんな高校の出身だというと、必ず「いいなぁ」という声が上がったものだ。しかし、何が「いい」のか彼等の尺度はなにも規定されないのだ。ただ、単に「いい」と思ったというだけの話。私の頃の高等学校で、憧れてはいても吉永小百合の純愛ものの映画のようなことはそうそう起こりはしないし、なにしろフォーク・ダンスをやると女子は女子同士踊る羽目になる人たちが何人も出現してしまうので苦情が出ていたのを覚えている。
 私は一年生の時は放送研究会とESS、二年は何をしていたのか覚えていないけれど、三年になって落語研究会を一年後輩の小柳君たちとつくり、かたや同級生たちとスパイダーズの真似をしてバンドをつくった。