ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

昨夜

 ビアノの長部正太が帰ってきて恒例のパーティーがあったんでございます。彼らThe Trioの三人も相当に楽しんだのだろうけれど、それ以上にこちらも楽しませて戴きました。つうのは三曲も歌わせて戴けたものですから、大層楽しく嬉しうございました。これまでと違っておりましたのは、「黄昏のビギン」に挑戦したことでございましょうか。ちょっとキーが低うございましたなぁ。この辺が今後の課題でございます。自分に合うキーがわからないという致命傷。ま、音楽の試験で高校の志望校を落ちたような人間ですからしようがありませんかねぇ。「勉強し直して参ります」by 桂文楽

偏差値

 この年齢になると実際の話、どんな大学を出ようと、要は人間性の問題で、こうなってみると若いときに「大学なんてどこを出ても同じだよ」というのはあながち間違ってはいないんじゃないか、という気になりつつある。しかし、それはこの年齢になったからうすうす感じてくることであって、若さ満々の時にそう言い放つのはただ単なる居直りでしかないといっても良いだろう。というのは学生生活の中で大学で学ぶ、探す、探る、掘り下げるということは非常に重要な要素であって、その環境の充実度が、どうしても偏差値が高いということに比例した状況を照らし出すからである。それが実際に有意味な連動性を保証するかといったら、それはわからない。
 だけれどもいわゆる偏差値は絶望的に人間性と連携していないことは事実だろう。それは感性の問題としてではなくて、客観的に認めても良いんだろうと思う。
 にもかかわらず、行政の本拠である霞ヶ関には偏差値の高いといわれている学校学部から新卒で入ってくる。なのだから人間性を優先する行政方針が生まれてくるとはとても想像ができない。「そんなものは存在しない」「そんな記録は廃棄した」と言い放って知らぬ顔の半兵衛を決め込むことができるような人間性を抱えた人間に税金の長を任せるのは適任なのかも知れないけれど。

2017年11月04日のツイート