ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今日の夫婦50割引

 今日がラストデイのThe Human Stain(邦題:白いカラス)、日比谷みゆき座13:40からの二回目。
久しぶりにみゆき座に入った。やっぱりがらがらである。熟年者ばかり。


 いやぁ、みゆき座も古くなったものだ。中に入ってみると、かなり前から変わっていない。そういえばちょっと前に東宝がみゆき座も建て直すことになったと新聞に発表していた。
 来年3月末で取り壊し、みゆき座はこれでおしまいだという。ということはこの上にある芸術座もなくなるわけだ。*1
かつて東宝名人会を見に芸術座に上がった事もある。なくなった漫才のセント・ルイス*2を生で最後に見たのもここだ。入社同期の友人と一緒に東宝名人会に上がり、その友人が三日後に心臓で急に亡くなってからもう何年経ったのだろうか。(そういえば彼はコレステロール値が高いんだ、といって会社の食堂でも、なんでも卵の類をはずして食べていたっけなぁ。)
そして、このビルの上の階は東宝株式会社の事務所になっていた。友人の部署に暑中見舞いを持って行った事もあった。もう、当時の友人たちは軒並みこの会社の役員になってしまっている。時代は流れた。一緒になって飲み歩いた頃から一体全体何年経ってしまったのだろうか。


 この映画館ではいろいろと懐かしい映画を見た。ピーター・フォンダデニス・ホッパージャック・ニコルソンのEasy Riderも、ダスティン・ホフマンの卒業も、イチゴ白書も、ジャック・ニコルソンカッコーの巣の上で、も多分ここで見たのだったかと思うんだけれど。


 さて、その白いカラスだけれども、結構珍しく邦題が非常に良くマッチングしている映画ではないだろうかと思う。かなり早いうちに妻が急死してしまう場面ではジャック・ニコルソンの「アバウト・シュミット」を思わず思い浮かべた。そもそも原題は「The Human Stain」だから、人間の「傷」とか、「しみ」、「よごれ」というような意味がある。人は誰も彼も、その過去には必ず何かしらのちょっとした、あるいは回復不可能になってしまうような、そうしたstrainを抱えていたりする。これは彼だけでもなく、彼女だけでも、あなただけでもなく、私だけでもない。大きかったり、小さかったり、ぶよぶよしていたり、とげとげしているが、きっと誰も彼も抱えている。なんだか、いってみると、「砂の器」を彷彿とさせるような話でもある。


 そして、アンソニー・ホプキンス演ずるところの人種差別発言で学部長を降ろされてしまった元古典文学のユダヤ人教授が実はユダヤ人どころか突然変異的に白い肌を持って生まれてきたアフリカ系アメリカ人であったという設定を語る上で、映画に出てくるカラスに絡めて、「白いカラス」としたのは、なかなかではないだろうか。いつも苦笑させられる邦題に比べて、これは「優」を上げよう。それにしても最近のこうしたストーリーには、ボーダーにいるような元配偶者という設定がどんどん出てきて、一般的になりつつある。それだけ離婚が、しかも、複数回の離婚が一般的になり、精神的に傷つきやすい人間が一般的になりつつある、という事なのだろうか。


 実は古典文学教授が亡くなった後で、友人だった作家が、これから書こうと思う本のタイトルを「The Human Stain」とこたえるところで、予告編は「白いカラス」と翻訳していたが、本編ではここを「人間の傷」と翻訳し直している。予告編で見ていた私は、ここのところのスーパーを見るに忍びなかったのだが、これを発見して、「あぁよかった」と胸をなで下ろしたのである。


 終わりのクレジット・ロールをじっと見ていて気がついたのはこの映画には少なくとも三人以上の日本人、日系人が絡んでいるらしいという事であった。(これがいつも楽しみなのだ)


 アンソニー・ホプキンスの声は時としてジャック・レモンの声を想い出させるんだけれども、なんでだろう。
ニコール・キッドマンをスクリーン上で見たのはこれが初めてのような気がするんだ。時々、彼女の表情の中に、トム・クルーズのそれを思い浮かべちゃうのは行き過ぎ?

*1:後でこの会社の役員をしている友人に聞いたら、芸術座は建て直しても残るんだって。要するにシネコンでないと客を集められにくくなった映画館は止めちゃう、という事だ。

*2:“田園調布に家が建つ!”