ほぼ足りてまだ欲 その先

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第三者による在宅介護の問題点

介護保険利用者の家族の過大な要望にどう対処するのか
 高齢者の介護について多少学習したものとして、現在の介護保険のシステムの問題点のひとつとなっているケースを記録しておきたい。常に問題視される介護における第三者による医療行為であり、サービスの境界線についてである。

  • 違法行為は見て見ぬふり

 全国の介護施設の調査で、違法ではあるが痰の吸飲、外用薬の塗布、点眼、経口栄養剤の設定、という行為が実際には許されていない第三者の手によって行われているという結果が出ていると、今朝のNHK総合テレビのニュースが報じていた。これらは本来的には看護師、あるいは医師の手によって行われるべきであると規定されている。もちろん家庭において家族がこれを実施するのはなんの問題もない。
 医師から処方された薬を眼にさす、塗るという程度のことにどうしてこんな制限が課せられているのだろうか。もちろん、糖尿病患者にインスリンの注射をうつとか、痰の吸引をするとか、あるいはいくら取り替えるだけだとはいえ、経口栄養を設定するといった行為をするのには多少の抵抗はあるだろう。危険性の存在も想像がつく。しかし、点眼、薬の塗布という行為は、それこそ偶然やってきた隣の人に「ちょっと手伝って」と云うことはいくらでも考えられる。
 訪問介護員ホームヘルパー)は現場で常にこうした行為の実行を迫られ、これを禁じられているからと断ることで現場での摩擦を経験している。どうせ周りに人の眼はないのだから、黙って実行してしまえばなんの問題もなく日々は過ぎていく。しかし、その利用者の状況を知る人からはそうした行為が実行されているであろうことは推測される。
 本来的に介護の現場ではこうしたことは必然的に発生することは容易に想像がつく。こうした行為を医療行為であるとして「医療」の側がその掌中にその権利をとどめておくという利権保護意識がみえる。訪問介護員の資格の中に最低限の医療行為をマスターするコースを造り、その資格を持つ介護員を生み出すという前向きな解決策をとればよいのではないかと単純に思える。介護保険法における要介護認定制度がつくられる時に「医療」からの要求によって認定項目が増えたことにも象徴されるように、「介護」が「医療」から離れることを懸念した「業界意識」が大きな壁をつくって現場から遊離していることがここでも指摘することができる。
 こうした医療行為の問題だけでなく、介護保険が設定しているサービスの境界を理解できない利用者、もしくはその利用者を代弁する家族による、境界の外側への要求も悩みの種である。
 この境界線を利用者は必ず理解しているのかと云えば、ここにも「契約」概念のずれが出る。家族の甘えといっても良い。それは「一式契約」の日本文化そのものである。なんでも入っているのが「一式契約」であり、暗黙のうちにその内と外が慣習として認識されているのが日本文化である。

  • ケアマネ、出番です

 こうした利用者に正確に認識されていない、認識されにくい部分を利用者、利用者家族に説明し、調整する役割は介護支援専門員が担当する。俗に云うケア・マネジャーである。
 ここにまた問題がある。これまでいいふるされてきていることであるが、ケアマネは数多くのケースを抱え、それでいながらそれだけの件数をこなしてもしっかりとした生活を維持できるだけの収入につながらないという悩みも訴えられている。ケアマネのスタンプラリーという言葉をご存じだろうか。担当する利用者を訪ね、訪問調査票に認め印をいただいて歩くので、自嘲的にそう呼ばれている。中身よりも、そこにスタンプをいただくことに意味があるという事態に至っていると云うことである。収入という意味では、介護の世界はまったく改善される兆しがない。
 ケアマネの質の問題もある。これはもちろんヘルパーにも云えることではあるけれど、2000年に介護保険が開始されるに際して一気にその陣容を整えなくてはならず、暫定的に近い資質を持つのではないか、と思われる(というよりはできうる限り屁理屈のつく職種の)人たちに資格を与えた。ケアマネにとって最も必要なことは、介護計画を立てるにあたって、いかなる社会資源とつなげ、利用者の状況を把握して最も必要な支援策を「発想することのできる力」である。もちろん、制度の中身を十分に理解していなくてはならない。そして事業として在宅介護支援センターを運営する事業体が利用者をつなげるケアマネを必要とする。ケアマネはその職務だけでは暮らしていけないから、事業所に所属する。つまり、ケアマネは事業所の最も先端にいる営業マンである。(もちろんそうでないケアマネも沢山いることは断っておく。)

  • 在宅は「日本文化」に基づく

 しかし、ここでどうしても問題になる要因は、「契約」という文化に乗っていてはそれまでの日本の地域:ご近所さん(ここでは決してコミュニティーというような外から持ってきた言葉では言い表すことのできない)の慣習をぶちこわしてしまう現実である。
 「それは医療行為だからお受けできません」「それはホームヘルパーの職務としては含まれていません」と直面してホームヘルパーが現場で主張しても、ご近所仲間であった関係からある日ふんわりとその利用者担当の「ケアマネ」になっちゃった、もともと薬剤師だった人が、「いや、そんなこといわないで、やってあげてよ」と云ってしまえばそれまでである。(これはあくまでも例だっせ。)それでも「おかしいでしょ、それなら法を変えてからそれをいってください!」と正しい主張をしたホームヘルパーは現場から追放されてしまうのである。(この話はまた、続きを書きたい。)