ほぼ足りてまだ欲 その先

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カウンセラーになるには

 カウンセリングを必要とする分野というものがここ10年ぐらいの間にとても多く見いだされている。特に教育関連の分野では、不登校やひきこもりの子どもが増え、現場でのいじめや暴力の問題が顕著になるにしたがって、その必要度は増すばかりである。こうした経験を持つ若者たちも含めてこうした事態への対応のために、この分野での活動を目指す人たちは「臨床心理士」の資格を取ることがまず第一番目のハードルとなる。驚くほど多くの青年たちがそのために臨床心理を学ぶことのできる大学、そしてそれに続く大学院への進学を目指している。
 ある大学の臨床心理学科の一般入試を受験したことがある。この大学では社会人入試がなかった。なぜかと思ったらそんなことをして受験者を増やす必然性がないというのである。それほど志願者は後から後からやってくる。例えば第一種にしろ、第二種にしろ、認定協会の認定を取れる可能性が巷で云われている大学院の入試には驚くばかりの受験者がやってくる。*1
 それはなぜか。彼らが目標とするカウンセラー、その中でも多くの需要があると思われていた学校教育現場でのカウンセラーの採用基準が、(そうは明記されているわけではないけれど)現実的には一財団法人が認定するに過ぎない「臨床心理士」という資格に限られているからである。文部省初等中等局長裁定では臨床心理士に限るとは書いていない。ここははっきりしておかないと問題になる。各現場から委託を受けた教育委員会が認めればよいとされている。しかし、現実はそうではなく、臨床心理士が現実的にはこの分野で業務独占に近い形に運営されていることは明記しておかなくてはならない。
 こうなるとその現場に就こうという高い意志を持っている学生たちはこの認定を取っている大学に入ろうと努力する。そうなると大学はこの認定を取ろうとする。受験者が増えることはそのまま収入増につながるのだから、当然の動きである。そこに利権が発生することになる。つまり、認定を受けるためにはどうしてもこの認定協会に認めてもらわなくてはならないからだ。
 しかし、不思議なことにこの認定協会は単なる一民間財団法人に過ぎない。つまり、これだけ世間一般に権威として認められつつあり、そのためにそうした目標を掲げる人たちがどうしても取得する必要のある資格が単なる民間認定の資格であり、なおかつほぼ業務独占資格として成り立っている点には大きな疑問が存在する。これだけのものであれば当然国家試験となっておかしくないはずである。
 カウンセリングにかなり近い世界である福祉の分野では介護福祉士社会福祉士作業療法士理学療法士はすべて国家試験であり、厚生労働省が管轄している。
 では財団法人「日本臨床心理士資格認定協会」の所轄官庁はどこかといえば、文部科学省である。つまり、この資格はスクールカウンセラーのためだけにできたということをあらわしているのではないだろうか。一般的なカウンセラーに対してこの資格を求めるのであれば、この資格は文部科学省ではなくて、本来的には厚生労働省の管轄としての国家試験になるべきだというのが一般的な解釈であるのが自然ではないだろうか。
 然るに何故今でも文部科学省管轄の一財団法人がこの分野を牛耳っているのか。乱暴な考え方かもしれないが、文部科学省官僚とこの財団との間の利害関係が一致していると思わざるをえないのではないだろうか。
 この財団法人を構成するいくつもの心理系学会の中心となっているのは「日本心理臨床学会」であることは広く知られている。そしてこの学会の中心人物が何冊もの著作、そして広くマスコミに登場するあの河合隼雄氏である。そして、彼は今文化庁長官である。そして文化庁文部科学省の管轄である。ここに意味がないと考えるのはちょっと無理がある。
 心理学という学問の中で「臨床心理学」がこれだけわが国で力を得たのはこれまでにはない。心理学の中には多くの学問が存在している。かつての日本の大学の心理学部、学科の主流はいわゆる「実験心理学」や「教育心理学」だったり「社会心理学」であった。そこからどんどん細かく別れている。ひとりの学者がひとつの学をなすというのは大げさかも知れないが。資格認定協会によって大学院が認定を受ければ収入に大きく貢献できるとわかると各大学はどんどん認定を受けようとした。認定の要件として「臨床心理士資格を持つ教員が4名在籍し、そのうちひとりは教授であること」であったから、資格を持つ教員は引っ張りだこ。中には専門が実験心理学であった教員まで動員してその要件を満たし、なし崩しに(といっては語弊があるが)認定を取得した学校、研究科もあったと云ってもいいすぎではない。逆に、協会から好ましい感触を得ていたことからその方向性を打ち出し、まごう事なき体制を整備した挙げ句に、協会から方針が変わったとして認定取得が空振りに終わった学校、研究科もないとは云えない。アカデミックの世界に悲喜こもごもである。

 本来、人間の本質におけるさまざまな困難をどのようにして打ち破っていくかについて力を提供しようとする分野にあたろうとする、人々の養成にあたって、こうした不透明感が存在すること自体が大きな問題であり、問題意識を持つ人がこれだけいても、官僚が業界とのとっても強いつながり(敢えて癒着とはいっていない)を持ち続けることの不思議さはどこかで指摘しておかなくてはならない。

 実はこの中心をなす「日本心理臨床学会」は1982年に設立されて、まだ22年にしかならない。2003年11月3日現在の会員数は正会員10,102名、準会員4,411名の計14,513名の計14,458名にもなる。元はといえば、1964年に設立された日本臨床心理学会がその母胎であった。『「臨床心理士」資格認定の問題を契機に問題性や疑問が持ち上がり、1969年の総会で、そのことについて本格的な議論が開始されました。そして1971年に「学会改革委員会」が設立され、新たな学会運営がなされるようになりました』*2この時期はあの学生運動華やかなりし頃のことである。河合隼雄氏を含む当時の学会エスタブリッシュメント日本臨床心理学会から追放された。そうしてつくられたのがこの「日本心理臨床学会」である、と私は聞いている。しかし、「日本心理臨床学会」から、心理士の資格化をめぐって新たな内部分裂が起こり、反主流派はここから脱退して、1993年に日本社会臨床学会を構築した。そして「日本臨床心理学会」では心理士の資格化をめぐって内部分裂が起こり、反主流派はここから脱退して、1993年に日本社会臨床学会を構築した。
 「21世紀日本の構想」懇談会では座長を務め、『心のノート』作成協力者会議の座長であったのは河合隼雄氏であり、日本社会臨床学会教育基本法の改正に反対する声明を出していることから考えると、この両者踏みしめる地盤の違いが明らかにわかる。そして、文部科学省と「日本心理臨床学会」の蜜月期間がまだまだ終わらなさそうであり、最近の右へ右へと舵を切り続ける私が暮らすこの国の様子がよくわかる。

*1:2004年4月4日現在、全国で114大学院が指定されている。

*2:日本臨床心理学会HPより。