ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

NHK出身政治家

 そういえば、NHK自民党と近いというのはこちらでも書かれているけれど、現実的にはNHKから政治の世界への直接的つながりはいくつか例がないではない。例の一億円の橋本隆太郎元総理大臣の弟でおなじく慶應義塾大学出身の橋本大二郎高知県知事NHKの記者出身。彼は1991年8月にNHKを辞め、その年には知事に当選している。すでに4期目である。もうひとりは意外と早く亡くなったという印象のある「消費税」導入の元総理大臣、竹下登のおなじく弟であり、彼もまた慶應義塾大学出身の竹下亘 である。橋本大二郎の3年先輩ということになる。
 尤もNHK出身というだけであれば、こうした記者出身者は別とすると、宮田輝高橋圭三というアナウンサー出身の両巨頭を忘れるわけにはいかない。どちらも今で云えば癒し系とでもいえるパーソナリティーを確立してNHKの全国ネットで売りまくった顔を武器に自民党にそれぞれ大量の票をもたらした。しかし、こちらはどちらかといえばタレント議員そのものである。NHK出身者を政治の世界に引きずり込んだといえるが、前述の二人は政界にはいることを前提にNHKに居た、といっても良い。
 自民党代議士の中でいえば中島洋次郎元代議士もNHK出身。彼もまた何故か1982(昭和57)年の慶応義塾大学出身である。彼の父親中島源太郎は文部大臣も務めた自民党衆議院議員で、やはり慶應義塾大学出身。中島家はあの中島飛行機の創業者一族であることはいうまでもない。中島洋二郎は大学卒業から時間は経っているが、1989年にNHK報道局国際部記者となり、1990(平成2)年NHK衛星放送ニュースキャスターを経て、1992(平成4)年 衆議院議員に当選。1996年には防衛政務次官を務めている。この在任中に海上自衛隊救難飛行艇US-1A改試作機導入に関して便宜を図るよう富士重工業小暮泰之専務から依頼を受け、政務次官室で現金500万円を受け取っていたとして受託収賄で逮捕、起訴され、2000年に二審で控訴棄却。懲役2年、追徴金1000万円の実刑判決。翌年1月自殺。
 おふるいところでは元NHKアナウンサーから日本教育テレビ(NET)(現在のテレビ朝日)に引き抜かれ、ワイドショー、メインキャスターのさきがけともなった木島則夫が1971年に民社党所属の参議院議員として当選。この時の選挙ではNHKのラジオで「歌のおばさん」のふたりのうちのひとり、あのキンキン声の安西愛子も当選している。彼女はもちろん自民党
おふるいついでにいえば、離婚はしたものの元藤原義江の妻であった藤原あきが自民党参議院議員だった。彼女が代議士に当選したのは、どちらかといえばあの高橋圭三が司会をやっていた名物番組、NHKの「私の秘密」のレギュラー解答者であったからである。小学生であったこの私ですら顔も声も、想い出すことができる。

 これは政治の世界というよりも、むしろ官僚の世界というべきという声が出るかも知れないが、外務報道官の高島肇久(たかしま はつひさ)氏がいる。NHK特別主幹から2000年の9月に国連広報センター所長に就任し、2002年8月に外務報道官に就任。取材する側から取材される側への転身は賛否両論である。イラクでの日本人人質事件の時に眠そうな表情で対応しているところを久しぶりに見た。アナウンサー出身である。
 民主党では24日の代表質問に立つ予定だった小宮山洋子(56)が居る。成城大学文芸学部国文学科出身。アナウンサーから解説委員となって、98年7月に参議院議員に当選。03年4月に東京6区から立候補して現在衆議院議員
参議院の新議員では埼玉から立候補の嶋田智哉子(しまだ、ちやこ)(41)歯科医院長、NHK地方局アシスタント、イベントアシスタント、明海大出身というかすっている人もいる。
 元代議士としては当時の社会党の上田哲もNHK出身。京都大法学部出身。NHK労組委員長、日本マスコミ労組会議(MIC)議長。彼の絶頂期の弁舌はカミソリのような切り口だった。残念ながら今や影響力を失いつつある。