ほぼ足りてまだ欲 その先

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堀江インタビュー

 「読書散歩」 さんのブログから「江川紹子の堀江インタビュー」 を読んだ。非常に長文のレポートだけれども、堀江が喋っている雰囲気も分かって面白い。面白いけれども、堀江の危険さも浮き彫り。読者が必要とするニュースを載せればよい、という考え方が多分これから一人歩きする可能性はあるが、それではニュースを流す側としての責任があまりにもなさすぎる。新聞は真実を伝えない、特に見だし一発で間違えた印象を読者に与える害毒があるというが、それはマスとして報道する以上、必ず発生するであろう事態である。やっていることをやればそれまでの社会の習慣なんてどうでも良いんだよ、とでも言いたげな彼の印象は既存習慣社会とそれを知らないがゆえに居直る、いわゆる未熟習慣社会との対立に火を注ぐ。これは異文化接触という表現ができるかも知れない。そう考えると私の国では漫然と怠惰に送っている異文化への取り組み姿勢そのものと重なってくる部分が見える。
 言い過ぎを覚悟でいってしまうと、それを指摘しない方にも大きな要因はあるが、未熟なれども持ってしまった力を振り回すことがどれだけの影響を及ぼすかを考える必要がある。尤も、そんなことを考えたら世の中は変えられないんだということになってしまうんだろう。だから、彼は明治維新を起こそうとしているんだという評すらある。そんな凄いことなの?
部分的引用

江川:例えば、イラクのこととか、新聞ではもうあまり載らない。でも……
堀江:いいんですよ、(そういうことは)みんな興味ないんですから。興味ないことをわざわざ大きく扱おうとすること自体が思い上がりだと思うんです。
江川:でも、提供されなければ興味もわかないのでは?
堀江:そうじゃないと思う。興味がないことを無理矢理教えてもらってどうするんですか? 何の価値があるんですか、そこに。気づかせたら、何かいいことあるんですか、ユーザーの人たちに。気づかせることによって、新聞をとっている人に、何かメリットあります?
江川:知らないより、知っていた方がいいこともある。
堀江:そうですかね。知らないのと知ることで、何か差異がありますか?
江川:情報を提供しなければ、興味を持つきっかけにもない。
堀江:いいんじゃないですか、別に興味を持たなくても。興味持たないと、いけないんですか?
江川:いけないと言っているのではないが……
堀江:じゃあ、いいじゃないですか、それで。そういうもんじゃないですか、情報って。それこそ、押しつけじゃないですか。
江川:「提供」と「押しつけ」は違う 
堀江:みなさん「提供」と言うが、(ニュースの)重みづけはユーザーが判断するもので、押しつけられるものじゃないと思いますけどね。それが暴走につながると思うんですよ。思い上がりにつながって。
江川:ランキングが悪いとは言わない。確かに一面に何をもってくるかは新聞社の判断で、それが押しつけといえば押しつけでもある。
堀江:うん。
江川:そうした記事の大小ではなく、今では記事として提供されないものをランキングは低くてもいいから入れていこうとか、そういうことはないのか?
堀江:なるべく入れていこう、とは思わない。操作しようとは思わない。ゴミみたいな記事を無理矢理載せたってしょうがない、ユーザーニーズもないし。
江川:「ゴミみたいな」とは?
堀江:ランキングで読者の関心が低い、関心がない記事をゴミ記事と言った。価値は相対的に低い、ニッチな情報なんですよ。
江川:フリージャーナリストでイラクなどを取材している人がいても、今ではなかなか大きなメディアには載らない。そういうのを入れていこうとは思わないのか
堀江:(この話は)重要だといって、あえて能動的に吸い上げようと? それって、メディアの意思が入っているじゃないですか。意思なんて入れる必要ないって言ってるんですよ。載せたいなら、読者の関心が低い記事にはお金は払えないけど、勝手にウェッブサイトに載せる分にはいいですよ。お金は払えないけど、来るモノは拒まずだから。
 ただ、それを紙に挙げる時にはランキングによる。そこのところで情報操作をする気はない。ランキングが一番になれば原稿もありますから、チャンスはありますよ。(そうした記事は)ウェルカムですけど、あえて収集するつもりはない。
 人気がなければ消えていく、人気が上がれば大きく扱われる。完全に市場原理。我々は、操作をせずに、読み手と書き手をマッチングさせるだけだから。