ほぼ足りてまだ欲 その先

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家出

 知らないうちに「プチ家出」という言葉が使われ始めている。こんな言葉昔はなかった。整形手術についても「プチ整形」なんていう言葉が使われていて、なんだか軽い調子で語られていて違和感がある。それは別として、家出してきた子どもが売春の被害者の供給源になっている様子がうかがえる。
 少なくとも家出をするという行為には必ず要因があるはずである。家を出て独立するというのは家出とはいわないが、日本ではこの部分が欠落している。進学のために、あるいは就職のために家を出るということはあるが、これは明確に語られることはないけれど、帰ってくる可能性を充分残しての出立に過ぎない。私は小学生の時に家を出ようと思ったことがある。その動機は明確に家人に対する面当てにしか過ぎなかった。だから直ぐに帰ってきて、様子を窺っていた。心配している雰囲気を察して満足していた。まぁ、幼すぎたといっても良いかも知れない。
 警察庁の統計によると家出人捜索願は年間に10万人を超えているという。しかも、もちろん年々増加。ただし、これは全年齢層を含んだ数字である。10代、20代ではそのうちの4割をしめる。しかし、これは捜索願が出ている数字である。それが出ていない数字がどれ位あるのかは見当がつかない。プチ家出*1の子どもについて親が捜索願を直ぐに出すだろうか。警察がその相談に積極的に対応しているのだろうか。2003年の警察への少年相談のうち、家出・無断外泊に関する親からの相談件数は約1.6万人。就学児童、生徒、学生だけでなく、未成年のこどもが夜中に繁華街に限らずさまざまな場所でたむろしていても別に不思議だと思わなくなった。それを見ている方がこんなだから、そうしている方も別段不思議だとは思っていない。つまりその子どもの親も別段不思議だと思っていないということだろう。
 うまくいかないことがあったら、全部投げ出してしまうという子どもは確かにいる。すべてどうでも良くなる。きっかけを失ったらもう挽回できるとは思えない。だから、そこからしぶとくやり直していくというような地味なことはやらない。面倒だから。親から見たら、どうにか派手なことができなくても良いから、元気で屈託なく暮らして欲しい。しかし、まわりが面白おかしくわぁわぁきゃぁきゃぁ暮らしているのを見たら、そんなことしたくない。大人だってそうして暮らしているんだもの、なんでこの私がそんな面倒なことをして暮らさなきゃならないんだ。どうせここまで来ちゃったんだもの、もうどうでも良いじゃん。そしてそれを逆手にとって利用する奴らが存在する。援助交際や買春に手を出す大人が何故いなくならないのか。必要悪だと思っている大人がごく普通に存在している。マスコミも週刊誌をはじめ当たり前のように記事にする。なんと風俗ライターと称する破廉恥漢も平気で存在する。これがこの国の「民度」なのではないのか。
 金曜日(18日)の朝日新聞朝刊の三面に本文記事わずか13行のべた記事がでた。

中3を2年監禁 ー 仙台、26歳の男逮捕 : 家出をしていた少女(17)を自宅に監禁し、売春させていたとして、仙台北署は17日までに、仙台市青葉区中山8丁目、無職千田学容疑者(26)を児童福祉法違反の疑いで逮捕した。千田容疑者は、少女が14歳だった中学3年生当時から2年間にわたって自分のアパートに監禁してきたという。

ネットで検索すると、この記事を掲載していたのはこの朝日新聞だけ。かつて新潟柏崎での自宅監禁事件の反応に比べてあまりにもその扱いが小さい。この事件に関してのフォロー記事はどこにもない。

*1:10代の少年・少女が「親が口うるさい」、「学校がウザい」、「もっと遊びたい」等の理由で、わずかな期間(1日〜1週間程度)する家出