ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 確かに母は小さい人ではあったが、火葬場で竈からガラガラと引き出されてきた時には思わず「えっ!」と声を出しそうになるくらいな小さな骨の並びであった。普通であればそんなにその壺には入らないよ、というけれど、充分に入ってしまった。介護をしてきた姉が生前母がしっかりしていた時に”私が死んだら流してちょうだい”と云って録音した「皆様、本当にお世話になりました。ありがとうございました」という録音テープを持ってきてくれたので、列席された皆様にご披露した。本人の声が流れるというのはあまりにも生々しいかと思ったけれど、故人の希望だからというわけで実行。最近ほとんど口をきかなかった母の声は私にとってもなんだか懐かしいものですらあった。
 85歳でなくなった母はある意味寿命を全うしたんだし、父をはじめ多くのお友達はすでに出かけてしまっているので、(彼の地で一緒になるんだという思想を前提に云えば)あちらの方が知り合いがたくさんなんだから、むしろ自然なんだ、と涙は出ないと思っていたし、でなくて当たり前だと思っていた。出棺に際して集まってくださった皆さんにご挨拶をと促されてマイクを持って話し始めは普通に話していた。ところが、ちょっとしたところで、涙に詰まってしまい、母の声を皆様にお聞かせしようとした時には、またまた詰まってしまった。自分で自分が意外だった。
 49日に納骨というわけで、霊園に電話をする。この墓は12年前に死んだ父親が生前に見つけてきて、母が墓を建立した。そして今回はその母自身が入ることになるわけである。実はこの霊園は法人のかつての理事長が勝手に投資をして焦げ付き、宙ぶらりんになっているところでもある。今回初めて電話をして知ったのだけれど、これまでこの墓の名義人であった母が死んでその墓に入るので、誰の名義にするのか、その新しい人に名義を書き換えなくてはならないというのである。代々の墓ではなくて、毎回こうして名義を書き換えるというのだ。そしてもちろんその度に名義書換料を請求されるという。それだけではなくて、その書換のためには証書と使用承諾書を提示しなくてはならない。しかし、名義人本人が死んだわけで、そんな必要とされる書類を見つけなくてはならない。なんだかすぐには頷けない。ようやく母の葬儀が終わったというのに、またまた難題に遭遇。家中をひっくり返して探さなくてはならない。たぶん、見つからないと云ったらもう一度最初から払えと要求されそうな気がする。
 ところで、これまで何回か親戚や自分の家の葬式に列席し、初七日法要まで参列した経験があるけれど、今回は喪主だからどうしても菩提寺住職のお相手をすることになる。目の前で相対してお話をさせてもらうと望外な話に接することができる。「亡くなったご本人をお送りするという役割はもちろんだけれども、残された方たちの悩みや困惑に接してそこで何らかのお役に立てると云うことこそ宗教にとって重要なことだと思っている」と根本的な話にまで触れることができた。それにしても節目、節目で必ず「何かわからないことがあったら聞いてください」と云ってくださる。一番困るのが何も知らないのに何も聞かないで取り返しのつかないことになってしまう時なんですとも云っておられた。
母の棺(ひつぎ)を囲んで飾っていた多くの生花から一抱えの花をもらって帰った。そして、小さな母のポートレイトをもらってきた。わが家には仏壇がないので、そうした家がよくそうするように、なぜかテレビジョン・セットをおいてある台の横に、連れ合いの両親が仕事場で二人で並んで撮った写真、父の写真とともに置き、小さな線香立てをおいてお線香を上げた。父のポートレイトも新しくして、ついに一人もいなくなってしまったわが家の先代を偲ぶ部分を作っておこう。
 それにしてもほぼ全員くたびれ果てた。今日はとにかく風呂を浴びて寝よう。