ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

岡山に来た

 これまで一回も出向いていない山陰地方に出かける。お得意のパッケージド・ツアーである。新幹線で岡山に出る。ここからバスで鷲羽山へ。
  確か小学校一年生の時に児島のおばさん(亡き父の姉)達といったことがある。その児島のおばさんの家に何泊かした時のことであったのだろう。あのうちは当時柔道着の生地を織っていた。当時そんなものが売れていたのであろうか。何人の大人と一緒にあがったのか知らないが、山の上からその大人達がなにやら賭け事の話をしており、それが競艇の話だとわかった時に、なんだか悪いことをしているような感じをもった記憶がある。なぜならば私の周りには競馬、競輪、競艇オートレースといったギャンブルに熱中している大人がいなかったからだろう。こうした公営ギャンブルのイメージは現在のそれとは大きく異なっている。

  • プロジェクトの後

 今回は自分がいったいどこにいるのかさっぱり見当がつかなかった。瀬戸大橋を見下ろす地点からはるか彼方に繋がる橋を見る。こんなものを創ってしまったんだものなぁと感慨深い。今だったらこうしたプロジェクトには批判的な論議がされるだろうなぁと思う。しかし、こうしたプロジェクトはその時限りのドラッグのようなものだという気がする。時限立法でも創ってその時限りの歳出を創り出し、民間に発注して大いに話題となり下々の竈をにぎわす。しかし、それで話は終わり、あとに残るのは借金の山である。人間それほど馬鹿じゃないから、その将来像がわかっていればそんなことには踏み切らない。しかし、お上が発表する見通しは表面面いつもうまくいきそうである。しかし、あれもこれもみんな大きなプロジェクトはそれができたことで終わる。つまり、その時にカンフル剤となりえても後からじっくり響いてくる。その場が良ければいいじゃないか。後の始末をつけるのは自分じゃない。

  • いつまでやっていけるのか

 宿に着くと、そこは思ったほどの宿泊設備ではなく、今日本の全国のリゾート宿泊施設が本当に苦境に立たされていることを痛感してしまう。というのはかつてはそれなりに成り立っていたであろう施設なのだけれども、抜本的なメンテナンスを実施する余裕をなくしてしまっているということを如実に語るものであったからである。大げさに云うとディズニー・ランドを引き合いに出すまでもなく、いくら当時、イニシャルコストをかけた施設であったとしても、定期的なメンテナンスに投資をしないことにはリピーターを惹きつけ続ける魅力を生み出し得ない。だから、そのための内部留保を確保できなくてはならない。しかし、日本のこうした施設にとってはあのバブル期のレジャー法の風がいつまでも吹き続けるだろうと思いこんでいたことがそもそもの間違いの元である。
 次には根本的なマーケッティング力の問題だろう。今の旅行産業をどうにかこうにか前に向けて動かしているのは全国レベルの旅行会社による薄利多売ツアーではないだろうか。つまり、薄利多売を構成するためにはこうした類の宿泊施設のサービスの投げ売りと、それを仕込んでおいしいトッピングを振りかける才能ではないだろうか。
 しかしそれでもリピーターが続くのは全部が全部安売りだからではない。どこかに一箇所光るところを含めておく。すると顧客は「この値段では仕方がない、そうはいってもあの一箇所があったんだから」と採点する。つまり、値段とサービスのかねあいの微妙な点を追求してくる。旅にはいきたいけれど、安いツアーでなければ財布のひもがゆるまない時代だからである。
 今回はいつものこうした半分は我慢して知らないふりをする旅ではないだろうと期待して参加した多少高めのものであった。しかし、最初のこの施設に到着して、もうすっかりイヤになってしまった。案内された部屋はぼろぼろだったからである。全室オーシャン・ビューというのが売りだが、そこは純粋たるリゾートじゃないんだから、見えなくても良いオーシャン・ビューも混じっている。私たちの部屋から見えるオーシャン・ビューはそんなものであった。見えているのは造船所とコンビナートだ。

  • 倉敷の美観地区

 ずいぶんと前からこの地域の話は大原美術館をも含めて良く聞く。つまりこの地域は倉敷紡績企業城下町であり、それが未だに続いているといっても良いのだろう。それにしてもこの地域は良く管理されているし、地元に暮らしている人たちも良く協力している。これだけたくさんの観光客が毎日押し寄せていれば日頃の生活に支障を来さないことはないだろうに。なによりも最近のこの手の観光地だとどこに行ってもはびこっている理由(わけ)のない人力車がいないのがよい。おかげでのんびり歩くことができる。きちんとしたポリシーを貫くことが意味を持つ。それはそれとしても申し訳ないけれども、私自身は財力を権力にして地域をわが物顔に動かすポリシーにはどんなことがあっても与しない。「すごいなぁ」とは云いたくない。つまりそれだけご一統様にとっておいしい仕組みを作り出していたと云うことだからである。
 ここにはボランティア・ガイドの方が何人もおられる。私たちのグループについてくださったのは中年の女性の方であった。本当によくご存じの方で心の底からこの地域を愛してやまない気持ちがよくわかる。倉敷紡績には戦争中にやはり勤労奉仕の女学生達が動員されていたそうである。戦争末期には布を織るための材料にも事欠いていたという。沖縄から動員されていた女学生に芭蕉布の織り方を教え、この人が終戦後沖縄に戻って今の芭蕉布を起こしたという説明までしてくれる。つまり大原様は今に至るまで沖縄にまでその恩恵が及んでいる、という解釈であった。わたしには芭蕉布の話よりも、沖縄からこの地にまで勤労動員されていた人たちがいたことに驚く。
 ロダンシグネチャーってなかなか男っぽくて好きだなぁ。
 鮮魚カステラという聞き慣れないものを発見。練り物屋さん、つまりかまぼこやさんの店頭である。なんだか厚焼きの卵のような。ちょいと小腹が空いていたので、早速購入。これがなんと伊達巻きの魚すり身を思いっきり増やしてみたという雰囲気のもの。弾力があっておいしい。ちぎっては口に放り込んで町並みを歩く。
 やっぱり観光客の雰囲気に合わしてなのか、裏道にも備前焼の店だとか、民芸調の生地屋さん、あるいは骨董屋さんなんてものが軒を連ねる。そうした町並みを歩いているうちに裏道にはいる。小さなお地蔵さんのほこらを発見。するとそこに板を打ち付けて「くらしきへんろ」としてある。そんなお遍路をやる人もいるというわけ。ずいぶん簡単なサインでこれがそれらしくてかわいらしい。