ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

なし崩し

 自転車の夜間灯火はもう今やそんな義務は消滅したかの如くである。もう殆ど誰も電灯をつけて走っている奴はいないといっていい。たまにいると、思わず感嘆の声を上げてしまう。それでいてどの自転車にも必ずライトは備わっている。挙げ句の果てに逆行して走る自転車は日常茶飯事になった。車で走ると左側を向こうから無灯火で走ってくる自転車は怖い。もう、そんなルールはなし崩しに無視されて形骸化している。実際には法に違反しているわけだけれど、こういう状態になったら、いちいち警察が取り締まるなんて云う事は事実上無理である。人手が足りない。もちろんこんな事は自転車に乗る人間が自分を守るためにあるのであって、今やよほどのところに行かない限り、自転車のライトがないと走りにくいところはめったにない。かつては行く手を照らすという効能が確かにあった。でも、今ではどこもかしこも照明があって、苦労はしない。その代わり自分を車から守る、つまり「俺がここにいるんだぞ」と主張する、或いは歩行者に自転車の存在を知らしめるという役割を持っている。これを無視するという事は他人に対しての警告を放棄していると云う事である。
 公的空間での携帯電話での会話もすでにその道を辿っている。こっちは刑罰があるわけでもないし、法で規制されているわけでもなく、ただ「うるさいなぁ」と思う奴がいる、という事だけである。つまり、こっちの方がまだ市民権がある(?)といってしまえるのかも知れない・・・そんなわけはないんだけれど。しかし、あれだけ、電車やバスの中で、「他のお客様のご迷惑になりますからご遠慮下さい」と云ってもご遠慮しないんだから、なし崩しになってしまうのは時間の問題だろう。
 これは昨日の事だけれども、電車の中で、乳母車に乗った幼児と、まだ3-4歳とおぼしき二人の子どもをつれた若い母親がそこで携帯電話を耳に当てて、「もしもし!」と話しかけた。繋がらなかったらしくて、そのままとなったけれど、こうした状況で育つのだから、この二人の無邪気な可愛い子どもがそんな空間での携帯電話での会話はまわりに不快を作り出すなんという感覚を持つわけがない。挙げ句に子ども二人に歌を唄ってあげるとても優しいお母さんだった。わたしは本に集中するフリをしていたが、とてもできるわけがない。