ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

古本市 浅草・松屋

 17日まで7階の催事場で開催、というのを見たので出かける。高田馬場Big Boxでも神保町古書会館でもあるらしいから、ちょっと覗いてたいしたことがなければそっちに行こうと思って出かける。ところが棚はとてもたくさん並んでいた。「水明洞」という名前には見覚えがあったから、先日の京王デパートの流れかも知れない。それくらいの棚は並んでいる。だから、結局ここだけで時間とエネルギーが尽きてしまって他には行かれなかった。高田馬場は前回いった時に文庫本がたくさんあったので、いってみたい。確か来週の月曜日までやっているのだと思った。

  • 東京ローズドウス昌代 サイマル出版会1977:文春文庫版だけを持っていたけれど、今日初めてサイマル版を見つけた。普通だったら文庫版があればその元の本は買わない。しかし、これだけは持っていたかった。裏表紙にはソファに座ってアイバ戸栗と話す1976.8.8撮影と思われるドウス昌代の写真が掲載されている。この時アイバ戸栗はちょうど還暦のはずである。この横顔の写真が現在の上坂冬子に似ていて驚いた。昨年NHKイサム・ノグチの番組に出てきたドウス昌代を見てはいるのだけれど、写真で見たのは初めて。もちろん25年近く前の写真ではあるが。1938頃の生まれか。早稲田大文学部卒。そういえば彼女が「イサム・ノグチ」を著してからもう何年にもなる。次作はあるのだろうか。
  • 「日本は何をしたか、しなかったか」 阿部志郎、李仁夏、隅谷三喜男、武田清子、松川成夫 日本基督教団出版局 1996: 1995年5月から1996年1月まで9回にわたって東京YMCA総合研究機構が開いた講演会「日本社会とキリスト教」の記録である。この本には掲載されていないが、「教会の一致を目指して」と題して佐藤敬一氏(カトリック新潟教区教区長)、竹内謙太郎氏(聖公会聖アンデレ教会司祭)、大津健一(日本キリスト教協議会総幹事)の講演があった第三回がどの様な議論になったのかは興味深い。阿部志郎氏は現在は神奈川県立保健福祉大の学長。
  • 「僕は日本兵だった」J.B.ハリス 旺文社 1986:2004年8月16日、文化放送、旺文社提供「大学受験ラジオ講座」あるいは「百万人の英語」を担当していたJ.B.ハリス先生が87歳でなくなっていた。訛りのある日本語でちょっと聴いたらすぐに誰だか分かる。そのハリス先生は従軍していた。しかも日本兵として、である。彼の父親はイギリス人でロンドン・タイムズの記者。母は千葉県出身の平柳うらである。彼は多分1917年生まれだから1941年開戦時には24歳くらいになっていたはずである。書き出しは1941年12月8日に横浜の自宅から有楽町のジャパン・タイムス(当時はジャパン・タイムズ・アンド・アドバタイザー)の事務所に出社するところから始まる。終わりは1946年8月16日、東京裁判の取材のために市ヶ谷の駅から旧陸軍省に向かうところである。多分彼が日本兵として従軍していたという話はよく知られていた話なのだろう。しかし、私はこの本を見つけるまで全く知らなかったし、ハリス先生が2004年になくなっていた事も知らなかった。
  • 「神を信ぜず BC級戦犯の墓碑銘」岩川隆 立風書房 1976:岩川隆は1933年生まれ。1982年に「多くを語らず—生きている戦犯:(中公文庫 )、 1995年に「孤島の土となるとも—BC級戦犯裁判」を著している。
  • 「戦時期日本の精神史 1931〜1945」鶴見俊輔 岩波書店 1982
  • 「日本文化論の変容」青木保 中公文庫 1999
  • 現代社会の理論」見田宗介 岩波新書 1996
  • 「難死の思想」小田実 文藝春秋 1969:「何でも見てやろう」が河出書房新社から出版されたのは1961年だそうだ。その時小田実は30歳か。
  • 「日本軍と戦った日本兵反戦兵士の手記 」水野靖夫 白石書店 1974:徴兵検査前に志願。山東省へ。今、そんな事はなかった、あるいは否定的に語られる事も当たり前に存在した事が記してある。八路軍の捕虜となり、日本軍兵士の命を助けるとして、降伏を促す宣伝員を担当する。日本軍のトーチカと外部の電話線を切断して、八路軍の電話線をつなぎ、日本兵にも語りかけたというのである。そのうち反対に日本軍から彼らに対する逆工作も。こうした反逆者には賞金も掛けられていたのではないかという。終戦後は日本兵武装解除に立ち会い、1946年7月には引き揚げ船で帰国。
  • 「昭和20年代週刊朝日」の昭和史 第二巻」朝日新聞社 1989(奥付に万年筆で“89.10.26 東京・神田にて求む”と記入)
  • 「もう一つの太平洋戦争」障害者(ママ)の太平洋戦争を記録する会編 代表仁木悦子 立風書房 1981 鶴見俊輔が巻頭に言葉をよせている。33人が寄せた自らの体験記集。
  • 「海軍特別攻撃隊豊田穣 集英社文庫 1980:1942年5月31日オーストラリア、シドニー湾に潜入した特殊潜行艇の経過を追うために作者は1973年3月にシドニーを訪問し、豪州海軍とも接触した。表紙は帽子を振って特攻機を見送るという絵で普通だったら私は手にしない。しかし、何故かたまたま手にして目次を見たら「シドニーの岸壁」と書かれていて、すぐに籠に入れた。あの潜行艇の動きがこれでようやく解明。
  • 真珠湾メモリアル 現場で見た日本軍の第一撃」徳岡孝夫 中公文庫 1985:毎日新聞に1981年10月から12月に連載された「真珠湾40年」を基にしたもの。1941年12月7日(現地時間)に真珠湾にいた人たちから取材したものから成っている。この視点にこれまで気がつかなかった。
  • 「戦後史ノート 上・下」恩地日出夫、川村善二郎、紀平悌子真継伸彦 日本放送出版協会 1976:“四人の若者”と書いてあるのが微笑ましい。
  • 「8月15日の子どもたち」あの日を記録する会編 晶文社 1987:記録総数672篇から、量的な制約に従って400篇に絞って掲載したと書かれている。
  • 「良い戦争」スタッズ・ターケル著 中山容 他 訳 晶文社 1985:ついに買ってしまった。

そうそう、どこのお店の棚だったか全然見ていないんだけれど、文藝春秋漫画読本が数冊並んでいた。な、なつかしぃ〜と思わず手に取った。でも、その冊子の発行年を見ると昭和40年代なんだ。生まれて初めて手にしたのは多分小学生の頃だったはずだ。随分ませたガキでホントかよぉ〜と非難を浴びそうだが、実は本当だ。おやじがいやらしく読んでいたのかも知れないけれど、その辺にぽろっとおいてあったりして、学校から帰ってきて盗み読んだりしていたのである。ちょっとしたピンク(この表現が古いなぁ・・)小話なんかを読んで、思わず周りを見回す、なんてところだった。あ〜懐かしい。
日本は何をしたか、しなかったか―戦後50年とキリスト教海軍特別攻撃隊 (集英社文庫 78-E)
やっぱり古い本は「はまぞう」でもイメージがみつかりゃしませんぜ。