ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

オリンピック なんだよ

 朝方目を覚ましたから、ラジオをつけてイヤフォンを耳に突っ込んでみたら、やってる、やってる。ラジオの開会式中継は大変。次から次にその場の状況を説明しなくちゃならん。気がつくと連れ合いがテレビを見ているので、出ていってラジオ音声でテレビを見る。なぜかラジオ音声の方がテレビ音声より先行している。何となく察しがついた聖火塔への点火であったが、現場にいたら大した迫力だっただろう。シドニー・オリンピックの時もそう思ったけれど、開会式がどんどん大げさというか派手になる。白装束の男28人がロープに釣られてしまいに鳩を作る、なんてのは「仮装大賞」そのものだ。小野洋子が出てきちゃうのはどういう発想だろう!?売り込んだんだろうなぁ。平和メッセージ屋という商売があるとしたら彼女は業界のドンとでも云うべきか。あれでノー・ギャラだったら単なる出たがり、という解釈もできるなぁ。(白装束の釣られたパフォーマンスと小野洋子については私の知り合いからもメールが来た。みんな違和感持ったのかも。)
 何もいわずに(云わせてもらえなかったのか)オリンピックの旗を持って歩いただけのソフィア・ローレンの方がなんぼかすがすがしかったじゃないの?なんも裏を知らずにいいたいこという自分が一番気楽だけれど。
 それにしても天下のNHKが何も説明なしで、パヴァロッティの唄が終わったか終わらないかのうちに中継を終わりにしてしまったのはどういうこと?回線が確保されなかったと云うことだろうか。なんだか尻切れトンボで情けないというか、恥ずかしいというか、どうせ大した人数も見てないだろうと思ってのことか(まさか)、なんとも後味悪し。
 NHKは何回も録画を流すんだね。500人のボランティア、つまり素人演技でジャンプする選手を描いたのは笑った。本当に、やっている人たちは完璧に「仮装大賞」のノリである。
 国歌を歌う少女の使い方、演技者を吊してしまう演出なんてところが、シドニー以来流行である。演出者は同じ人?
 予行演習を見ていて知っているはずのアナウンサーが、今初めて見て知ったの如き言葉を挟むたびに、そのわざとらしさに身震いするのだけれど、それを連れ合いに云うと「そんなことを云いながら見なくても良いだろう」という雰囲気を醸し出す。いや、そういう君のような態度が彼らを増長させるのだからして。そんなどうでも良いと云ってしまうことが世の中をこんなことにしてしまったのだからして・・・。だから・・・だんだん・・・みんな私の周りから・・・遠巻きにするようになるのだとは・・・・分かっては・・いるのだ。