ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

堀江容疑者を未だに「君」づけで呼ぶ武部。

 ライブドアの株主報告書で堀江と対談し、堀江に頼まれてナベツネに「逢ってやって下さいよ」と電話してものの見事に断られた武部の軽率さは、あっちやこっちのテレビに出てきて「マスコミが持ち上げた!」と如何に指摘しようと、なんにも功を奏さず、ただただ恥の上塗りなり。いろいろな会社の株主報告書に他にもいろいろな人が出てくるじゃないですか、とその辺の御用タレントと同列に自分を置く。語るに落ちるとはこのことだ。この馬鹿の主張によれば、あの選挙では、郵政民営化に賛成する人間だったら誰でも良かったということになる。「会社もいろいろ、社員もいろいろ、人間もいろいろ」というええ加減首領様の発言はこんな時に非常に効果的で良かったねぇ。こんな人の元で良かったね。ばっかじゃなかろか。
 「自分の弟だ、息子だ!」と云い、どこまでも持ち上げてきたことを武部は「そこには十分に責任がある」という。云うだけだったら誰でもできる。責任があるならあるなりに、その責任を果たす、ということをせよ。「あぁ、悪かった!悪かった!」と居直るだけであれば、誰でもそんなことはできる。なさけない。
 鳩山由起夫自民党の議員の疑惑問題を明確にもできずに持ち出したことに対して、武部は「そりゃ軽率だ」という。誰に言われても良いけれど、お前だけは云う権利はない。彼らはこの立場に立つためにこれまで耐えに耐えてきたというわけだろうから、そう簡単には手放すわけがない。そういう意味では非常に明確な利益集団でしかない。この場合、その利益とは一部のもののために儲けさせるために政策を動かし、それによって結果的に自分の利益を得るという図式。議員年金なんてものは明確にそれを表している。にもかかわらず、この集団に対する支持率が半数を超えるのだから、この国に暮らしている人々はこれを支持しているわけで、正義、不正義というものが金に振り回されている図式が見えてくる。堀江のことをあしざまに言うわけにはいかないのだ。