ほぼ足りてまだ欲 その先

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「ある昭和史」

 先日文庫本の整理をしていたら色川大吉の「ある昭和史 自分史の試み」(中公文庫)が二冊あることが分かった。そういえば4月だったかに古書会館でこれを手にした記憶がある。だからそれ以前にも入手していたことになるのだが、それがいつだったのかは判然としないが、これもまたいずれかの古本市で入手せしものなり。一冊は1986年の7版で当時の価格は500円、もう一冊は1991年の10版で当時の価格は640円である。
 いや、そんなことはどうでも良いのだけれども、色川大吉は大正15年、1925年生まれの歴史学者である。色川といえば武大(たけひろ)という作家がいる。この人は純文学者であるが、其の別名が阿佐田哲也といって麻雀をはじめとしたギャンブル小説の大家である。私はかなり最近まで色川大吉のことをこのギャンブル作家と混同していた。というのは正確ではないな。色川武大という人が阿佐田哲也という人と同一人物だということ、その人がギャンブル小説家であるということを知っていて「色川=ギャンブル小説」という概念にとらわれていたということだ。
 ところが数年前に栗原彬先生がご尽力されている「水俣フォーラム」が有楽町・マリオンの朝日ホールで開かれ、それに参加した時にスピーカーのお一人が「色川大吉」であることを知っていたが、なんでギャンプル小説家(正確にいえば色川武大の名前の時は純文学なんだから、その時点で既に混乱を来しているわけだが)がこうした場所に出てこられるんだろう、ひょっとすると熊本にでも関係しているのかと思ったものだが、実はこの時点ではすでに他界されていたのである(1989年、享年60歳)。
 色川氏が登壇するとまったく話が違っていて、あぁ、こういう人がいるのかとその時初めて不遜にもこの歴史学者を認識をしたというお粗末なものである。
 この本はもともと1975年に刊行されたもので、この年は戦後30年、昭和天皇在位50年、そして色川大吉50歳という年である。この年私は既に結婚していて静岡の清水の三保半島に暮らしていた。
色川はこの本のあとがきにも序章にも

・ ・・・それゆえに、人をやって問わせることはやめよ
誰がために鐘はなるか、と
鐘はおまえのために鳴っているのだ。(ジョン・ダン

を引用し、「私はこの日々、“歴史の鐘”を聞く。そしてその鐘がまさに私たちのためにも鳴りつづけていることを痛感する」としている。
 私たちはその当時を知り、真摯に其の意味を受け止め、それを勝手に解釈することをせず、そこから学ばなくてはならないことを痛感する。
 まだ最初の50頁を読んだにすぎないが、その中で1968の「暮らしの手帖96『特集・戦争中の暮らしの記録』」から再録した、夫を出征で失い6人のこどもを抱えた夫人の本当に辛い、悲しい、苦しい生活を綴った投稿を取り上げている。その投稿の最後にこの夫人は「この苦しみを二度と繰り返されないようお願いしたいものです」と結ぶ。後年この話を聞く人は時代が流れれば流れるほどそれほどのインパクトを持たずに聞くだろう。しかし、この一市井の母親のこころからの言葉を受け止められるか、それともそうはしないか、というほんのひとつのことが、あの戦争から学ぶことができるか、できないか、あるいは学ぼうとしないのかというその後に与える大きな力の試金石になりそうだ。
 色川が語る「爆弾三勇士」の話は私にあの「百人斬り」の話を想い出させた。
 ところで、浅草に「色川」という鰻屋がある。