ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

対処法、その1、そしてその結果

 身体が疲れればぐっすりと眠れて、途中で眼が覚めることもなく朝まで夢すら見ずなんじゃないかというわけで、地元のプールに行く。午後4時に到着してみると25mプールには多分7名ぐらいしかいない。日曜日だというのに。こりゃ良いあんばいだとマイペースで歩いていると、半時間くらいたったところで、ざわざわという音がするんじゃないかというほど、あっという間に人が増える。多分倍近い人数になったのではないかと思う。それにしてもおばあさんの中にはいつ来ても見る顔が必ずおられる。ひょっとしてあのばあさんたちは一日中プールにいるんじゃないのか。そうやっていると元気になるので、いつまでもスタミナが切れずにまたいる時間が延びるという相乗効果というか、エンドレスというか。ただ、閉口するのは3人4人となった時に横に拡がって、べちゃべちゃ喋りながら水面を占領すること、そしてなんだか分からないのだけれど、何やら化粧品のような匂いがすることだ。頼みますからシャワーで全部流してきておくんなまし。
 果たしてこの対処療法は功を奏するだろうか。懸念:早いうちに眠くなって、夜中に眼が覚めてしまい、明け方までまた眠れなくなるという危険性・・かなぁ。
 案の定、20時半に寝付くも、22時半に眼が覚める。
 ラジオのスイッチを入れるとJ-Wave小林克也Nat King Cole(本名 Nathaniel Cole 1917〜1965)を次々にかけるものだからどんどん眼が覚める。やっぱりこの時代のものはよい。小林克也が云うように、ナッキング・コールの発音はとてもはっきりしていて、私にもわかりやすい。小林克也は英語の発音をゆっくり、ていねいに発音することで自分のものにしてきたといっていたことがあって、それは実に彼の云う通りである。日本人の発音がいつまで経ってもうまくならないのは謙虚に真似ると云うことをしないせいもある。そうしたことに地道に取り組むしかないわけで、何事にもそんなにeasy wayはない。小学生の時から練習すればうまくなるのかといったら、そりゃある程度の結果は出るかも知れないけれども教える側にその意識がなくては効率は悪いし、何よりも私はこれだけ乱れてしまった日本語の本当のところを教えておかなくては意味がないと思う。
 かつていわゆる業界用語のようなものが流布していても日本語がむちゃくちゃにはならなかった理由は、それが本当の意味での「業界用語」だったわけで、その根底には普通の正しい日本語がきちんと流通していたという基礎があった。そんな言葉を使うことが後ろめたい、いや、そこまでは行かなくてもなんとなく非主流であるという意識が使っている人たちにもあった。だから、「そんな言葉を使うんじゃありません!」と指摘されて(いやぁ、まずいなぁ)と思ったりしたし、その業界の人からは「素人はそんな言葉を使っちゃいけませんよ」と云われたりもしたものだった。
 だけれども、今はそうした言葉をまぜこぜにして使うことがなにか先進のような気がしたりしている。そんな言葉の最初は多分若者たちのいつでも使う「おはよう」だったかも知れない。そして、語尾あげ言葉になり「ちょ〜!」なる強調法を許したことにあるかも知れない。わが家でもそうだけれども、女性が女性の言葉を失い、ため用法が平気になった。言語は文化で文化は時の流れとともに変わる。変わっていくことが当たり前でそうして時間が文化をまた形作る。だから変わっていっても良いのだけれども、さはさりながら、どうしても人間が歳を取ると、こんな日本語は本当の日本語じゃないんだ、と思っている。使わないでいると言葉は失われ、いつの間にか消滅する。そんなことは決してあるわけじゃないけれど、小学校から英語を教えると云うのをきくと、なんだか占領期間中に日本語を全てアルファベットにしたらどうか、といわれた時のようなトンでもない発想を聴かされているような気がする。