ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

宵っ張りの朝寝坊

 多分寝たのは午前3時をすぎていた様な気がする。一旦猫に起こされたがひるまず二度寝。起きたのはNHK日曜討論の途中だった。自民党甘利明のすねた様な恨み骨髄の様な眼がなんとも情けない。かつての東映映画の中に出てくる必ずや最後にどうにかなっちゃう大店の二代目の様である。庶民感覚としたら小池や阿部が言う様にまずどうにかするべき特殊法人がいくらもあるんだし、法人税の見直しをまず考えるべきで、まず間接税で網をかけることは乱暴この上ないだけではなくて、どんどん格差を広げる結果となる。しかも決定的な結果をいくらも生み出すことになる。NHKの夜の「NHKスペシャル ワーキングプア」を見るまでもない。甘利を初めとして与党の税制改革を語る議員連中にはこの発想がない。今すぐに簡単に困窮に陥ってしまう人はいくらもいる。そしてそうした人たちはおしなべて一律に語ることができない。ひとりひとりにそれぞれの事情があるし、感情があるし、価値観がある。最後のセイフティーネットが本当にその人にとってネットたり得るかといえば一律に語りえない。つまり、それだけバリエーションのある対応が必要で、それには手間暇が掛かり、ひいては経費もかかる。いくら誰がなんといおうと斬り捨て御免で発車した「構造改革」は多くの人を置いてきぼりにしている。自分の政治政党をぶち壊すのはいくらでも勝手にやって欲しい。しかし、根源的な部分をいじらずに表層的な絵空事のために少なくない人々を置いてけぼりにするのであれば、それは改革とはいわないだろう。 夜中のNNNドキュメントでは北九州の平野分校の廃校を取り上げた。4人の児童が通う分校を廃校にして、教育特区としてそこに私立の小学校を作るという話である。結果として60人の募集に10数名の入学者で、それまで通っていた4人は本校まで時間をかけて通うという現実。教育委員会の課長はインタビューで「コストがそれだけかかるということは、結果として児童が大きくなって自分でそれを負担するということなんですよ」と廃校にする理由を述べる。これを本末転倒といわずになんと表現すればよいのだろうか。これで改革が実を結んだというのだろうか。それこそ結果は将来やってくることだろう。
 ドミニカ移民についてこれまで国会で語られてきたことを国会議事録で終日読み続ける。
(写真:どんよりした重苦しい空をご覧に入れています)