ほぼ足りてまだ欲 その先

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「戦後和解」

 先日本屋を三軒探して歩いた中公新書「戦後和解」小菅信子著はこれまで私が全く知らなかったことだらけである。尤も本を読むのが遅い私は知らないことがいくらでも次から次に出てきてしまうので、本当のことをいうと常に圧倒されてしまうのだけれども、この本を読むと原典に当たってみる必要があるという気にどんどんなってくるので、これからが大変だと思ってしまう。英国、オランダ、カナダ、オーストラリア、あるいはアメリカの将兵で日本の捕虜になった経験を持つ人たちが如何に表には出さないまでも反日感情を持ち続けてきたかについて私たちは一度は真剣に考えてみる必要がある。豪州にいた時に通りかかった老人に呼び止められて何年生まれか聞かれたことがある。戦後の生まれだというと握手をして別れていった。それよりも隣に住んでいたアーサーはパプアニューギニーにいっていたというのだから、もちろん日本軍と対峙していたわけである。私が借りたその家は大家がシンガポール系のチャイニーズだったのだけれども、日本人が住むと分かった時に、彼はどんな心境だったのだろうかと今更ながらに考えてしまう。まだ家族がやってくる前に、そのアーサーと奥さんのイーデスに呼ばれて遊びに行った時、その家のリビングにはアーサーが従軍していた時のオーストラリア軍独特のあの制帽を被った写真が飾られていた。とても聞けなかったけれど、彼は戦争中どの様な状況にいたのだろうか。前にもこの話を書いたのだけれども、その時からは「Now, we are friends」といって手を差し出してくれた。尤もそこであからさまに敵対するほど、無遠慮ではなかったということだが、その年はあたかも終戦から50周年だったのである。
 「戦後和解」によると1971年の秋に昭和天皇が英国を訪問した時、英国のジャーナリズムは徹底的に激しい論調だったのだそうだ。