ほぼ足りてまだ欲 その先

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さて、仕事に

 どうやら自民党の総裁選挙も煮詰まってきちゃっているようだ。昨日は日本記者クラブでの公開討論会だった。
 長野からの帰路、高速を車を走らせながらラジオで聴いていた。相変わらずの調子でかわしていて、こんなことでは日本の政治は変わらない。安倍晋三のこんな具合の言い逃れ、人を喰ったような応答というのは、あの小泉の人を心の底からバカにしたような振る舞いから比べるとまだ品がよく見えてしまうのかも知れないが、「首相として適任な人は」という世論調査で41%が安倍の名前を挙げるのだそうだ。日本人はよくよく人がよいという他はない。
 彼は格差をどうするべきかという点について、ひとつも具体的なことをいっていない。自らが人知れず靖国を参拝していたことについても「日本には信教の自由がある」という、指導者としては、公的立場に立つ政治家としては、それぞれどの様なことを考えるべきか、という点についての考察を全く無視してしまう立場に立つのでは彼が指導していく立場に立った時に、国民の立場に立てるか、といえばそんな気持ちはこれっぱかりもないだろうと推察するしかないと思っている。
産経新聞によると

靖国神社参拝について安倍氏は「公式参拝ではないので、公式に発表しなくても構わない」と述べ、首相就任後に参拝しても公表しない考えを示した。谷垣氏は「『A級戦犯』合祀(ごうし)問題があるなら控えるべきだ」と強調した。谷垣氏は中国が日本の戦争責任は指導者層にあり、国民にないと位置づけたことを評価したが、安倍氏は「日本国民を2つの層に分けるのはやや階級史観ふうだという議論もある」と反論した。

とのことである。私はここを聞き逃している。この点は非常に重要な点であって、中国、正確にいうと中国共産党先の大戦において日本人で責任があるのは一部の軍部指導層であって、日本人人民はむしろその被害者である、として戦後の日本と和解しようとしていたといわれている。だからこそ、その責任のある軍部指導層の核となるいわゆる「A級戦犯」を合祀し、それを神として祀ってあるところに対して深々と頭を下げる現在の日本の指導層を許すわけにはいかないという論理になっているはずだ。これから先も日本は孤高を守るという気概をもってやっていくんだと宣言するということなのか。責任があったのは彼ら一部の人間ではなくて、マスコミも含めた日本人全員が等しく責任を持つべきものなのであるというのが、安倍の考え方なんだろうと思うけれども、これは日本の官僚が大好きな論理なんじゃないかと思っている。こうすれば結果的には誰もそんな責任を行動としてとることがない、ということになってしまうだろう。「みんなが悪かった、みんなで突っ走った」ということならそれはそれでそういう決着の付け方はあるだろう。だとすると私たちはどの様にそれを表したらよいのだろうか。