ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

毛針

 先日の日曜日の朝日新聞に毛針の生産量が減少し続けているという特集が掲載されていた。全国の毛針の8割を担っているのは播州毛針だということは知らなかった。日本全国の河川の護岸がコンクリートに囲まれ、まっすぐになり、淵やよどみが少なくなる。上流にダムが造られて河川の水流量は極端に減少。天然の鮎は産卵場所を失い、ほとんどが放流の養殖鮎である。今ほとんどの鮎釣りはむちゃくちゃ長いグラスロッドをつかった友釣り。おとりの生きた鮎にハナ環をかけて泳がせ、縄張りを守るために追い払いに来る鮎が垂らした針にかかるというもの。金がかかる装備だ。
 私は小学生の頃静岡県清水の興津川で毛針を使ったいわゆる「ころがし」で毎年鮎を釣った。夜も明けない真っ暗なうちに川縁に着いて薄明かりの中で、川に立ち込んで上流から毛針を下流に向かって自然に流していく。まさにフライ・フィッシングとなんら変わらない。尤もそんな頃の私たちはそんな横文字の釣りを知らない。多分、毛針も安くはなかった。一年間に数個しか買えなかった。シーズンが終わると大事にしまったけれど、翌年になると、近所の大型外航船の船長だったおじさんがまた誘いに来てくれて、そんな時に「おい、これ使え」と新しいものをくれた時は嬉しかった。シーズンオフに家の小さな池を泳いでいた金魚を相手にその毛針の先にパンを練ったものをつけてつり上げたことがある。多分、鮎の口に合うような小さな貼りだったから金魚相手にも役に立ったのだと思う。
 長ずるに及んでフライ・フィッシングを知ったのは群馬の山の中に出かけた時に一緒に行った方がとりだしたロッドを振ったのを見た時だった。彼は二投目でその池からニジマスを出したのだ。びっくりした。格好良いなぁと思った。6-7年ほどその気になってその地域で竿を出した。勿論渓流では私の腕では成績は餌づりの友人にかなわない。鮎の毛針を思い出した。そうすると渓流にもテンカラという日本の毛針があることを知った。残念ながらそこで時間切れだった。私は日本を離れたのだ。それまで遊んでいたルアー釣りも、フライもそこまでで、遂にテンカラを経験せずに釣りから足を洗った。イヤ、正確にいうと渓流釣りから足を洗った。外国にいた時は刺身を食うための、食生活の充実を図るという本来の意味での海釣りに集中した。勿論それはそれなりに満足で、鯵、鯖、シマアジ、鱚、サヨリ、カワハギといった食生活充実の釣りに週末を費やしていた。それくらい簡単に釣りに出かけることができて、釣れた。日本に帰ってきてみると、海辺にでも住んでいれば漁港の突堤でからでも釣れるのかも知れないが、釣りに出かけるだけでも費用とエネルギーがかかる。それにそうした食材は安く近所で売っている。
 鮎を毛針で釣った、あの頃からもう既に半世紀。渓流釣りをやめて既に15年。海釣りをやめて既に9年。日本の都会にいたら何もやらずに終わるのだなぁ。