ほぼ足りてまだ欲 その先

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寄席

 お知り合いからお誘いを戴いて国立演芸場に花形演芸会を聞きに行く。カンカラが出るのと、ゲストにお気に入り昭和のいる・こいるがでるというので、友人ののいる・こいるファンのSさんを誘う。張り切って前座から聴くが、なかなか慣れていそうな前座だけれども、なにしろ喋りが早すぎてなにをいっているのかわからない。こういうところで鍛えて頂いて少しずつの勉強だろう。それにしてもここのお客様は皆さんお人が良いのか、こういう前座にもきちんと対応してくださる。カンカラはひとりだけ入っていた女性が居なくなった。どうしちゃったんだろう。プログラムの写真にも三人しか写っていない。思いっきりお客を巻き込んで、三平さんばりの大騒ぎをした。思わず前の列に座っているおばさんが私を振り返るというくらいのものである。どうもこの花形寄席にはいつもおじいさんおばあさんの団体が来る。どこかのお仲間なのか、それとも学校のクラス会の延長のような匂いがする。幹事役のおじさんは大きな方で、飴を配ったり、なんやかやと声をかけていたりする。大神楽翁家和助は相変わらずの土瓶芸が私は気に入っている。柳朝が鹿政談をかける。前回柳朝を聴いたのは彼の真打ち披露の時で、あの時はかなり緊張していたのではないかという気もするし、今回はなかなか余裕があって良かった。自分の芸をひけらかす雰囲気がないのが多分可愛がられる理由なんだろうなぁ。林家二楽紙切りは初めて見たので知らなかったのだけれども、彼は以前からあぁいう演出付き高座をこなしてきているのだろうか、国立演芸場だからこそのこの演出なんだろうか。例によってお客さんのリクエストで切ったりするんだけれども今日は夏休みのせいか前の真ん中に小学生の姉妹が来ていて嬉しそうにもらいに行くところが嬉しい。まだまだ捨てたもんじゃないなぁ。二楽は「こうしてゆらゆらしながら切らないで居るとどうなるかと申しますと」といって高座の照明をぱたっと落とし、めくりだけをスポットにしたかと思うと、切り換えて、本人が下を向いて切るところをスポットにする。こうなっちゃうから明るく切る!という訳だ。最後に井上陽水の「少年時代」を流しながら良かったあの頃の風景の切り絵を次々にOHPで映し出してみせるという趣向で、これは来場者の大半が高齢者である寄席にぴったりの演出で、ディレクターが他にいるのかも知れないけれど、目から鱗の切り絵だった。お待ちかねの「のいる・こいる」はただただ出てくるだけで嬉しくなるという大好き芸人である。ただ、寄る年波は隠せない。だからこそ、順子ひろしも含めて今楽しんでおきたい。三遊亭金八は佃祭で、季節ものである。金八は間の作り方もなかなかなものなんだけれども、どうも「上手いでしょ?」といっているような匂いが鼻を突く時があって、それは本人が気がつく時が来るかどうかという点ひとつだろうという気がする。なかなかそんなものに気がついちゃう芸人はそうはいないというか、そうしたくないという傾向がないとはいえないのだろう。