ほぼ足りてまだ欲 その先

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ラジオ関東



 現在の「ラジオ日本」はかつて「ラジオ関東」といっていた。関東から突然日本になっちゃうってのもどうかと思うけれど、当時私達は「ラジ関」と略称していた。東京の人たちはどのへんまで聴こえていたのか知らないけれど、わたしたち横浜の人間は普通に聴いていたんだろうと思う。
 このサイトで何度も「昨日の続き」のことは書いた。それくらい、毎晩聴いていた。永六輔大橋巨泉前田武彦はかま満緒保富康午くらいまでは覚えているけれど、青島や小林信彦が出ていたのは記憶にないなぁ。女性は草笛光子の妹の富田恵子、提供は参天製薬


 洒落てんなぁと思ったのはケン田島と森すみこの「ポート・ジョッキー」だった。なんでもケン田島はロンドン生まれで戦前に日本に帰ってきたんだという。ということは彼の英語は米国英語ではなかった、ということか。ついこの前まで生きていたらしいことがウィキペディアに書かれている。彼は何も残していないんだろうか。
 この番組ははじまりがビリー・ボーン楽団の「波路遥かに(Sail Along Silvery Moon)」で、クロージングがビリー・ボーン楽団の「Among My Souvenirs(邦題:思い出の中に)」だった。今、聴くと突然あの頃に戻ってしまう。音楽には思い出が染み付く。The Beatlesの「Yesterday」を聴くと学生時代の学校祭に戻ってしまうように。

 ラジ関の番組はもっぱら夜の番組しか記憶にないけれど、モンティ本多(本多俊夫)の「ミッドナイト・ジャズ」というジャズの番組があった。聴き始めのジャズの勉強はここだった。生まれて初めて入ったジャズ・喫茶は神保町にあったといわれている「響」だった。曖昧なことを書いているけれど、どこにあったのか、今となっては判然としないのだよ。

 もうひとつは、あの一世を風靡したVAN Jac.が提供した「IVY CLUB」という番組。被れていたから必ず聴いていたし、革製のキーホルダーまで手に入れていた記憶がある。

 これだけ並べると、いかに学生時代に勉強なんぞしていなかったことがわかる。もったいない時間を費やしてきたもんだね。


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