ほぼ足りてまだ欲 その先

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ビデオの整理

 長らくHDDの中に録りっぱなしになっているいくつかの番組をチェックしようかと垣間見ながら不要な番組を削除して、空き容量を回復しておかなくちゃならない。番組を指定して録画していたのに、なにかがあって放映時間がずれたらそれに追従するという機能を動かしていなかったらしくて、自民党の三役人事発表かなんかでずれちゃっているものがあったりした。あれからチェックしていないということだ。

落語

 TBSテレビの「落語研究会」という番組の録画が設定してあった。今やこの番組は毎週第三土曜日の28:20からというから午前4時20分ということか。こりゃさすがにビデオじゃないと見られない。昔のビデオを見ると当時TBSの山本文郎アナウンサーと解説が江國香織の父親で、今は亡き江國滋だった。江國滋にはこの番組でとにかくいろいろなことを教えて貰った。後のNHKの「お江戸でござる」の解説者にして元荒俣宏の女房だった、これまた今は既に亡き杉浦日向子に教えて貰ったこともそれはそれは多いのだけれど、江國滋に学んだことは数多い。彼は癌を患って死ぬのだけれど、享年はなんと62歳という若さである。考えてみるともったいないことをしたものだ。あの歳にしてあれだけのことを教えて貰っていたのだから、その博識ぶりは大変なものだ。
 久しぶりにその「落語研究会」を録ったのだけれど司会は女性でやはりTBSアナウンサーの竹内香苗であるが、解説は圓生百席で知られた京須偕充(きょうすともみつ)であった。なるほど、そうくるのかと嬉しくなる。1987に青蛙房から出版した「圓生の録音室」は1999年に中公文庫になった後、先月ちくま文庫になった。これまでこの本を知らずに来て(よくここまで知らずにきたもんだと呆れかえるが)、入手して、その臨場感に思わずうんうんと頷く。なるほど、それでまくらも全部違えば、出囃子も送り囃子も変わっていて、しかも圓生の声が入っていたりするんだとそれまでの疑問が氷解した。京須が圓生宅へ初めて上がったのが1973年だというから圓生心筋梗塞で死ぬ6年前である。それからの4年間で録音し終わっていたらしい。
 10月の「落語研究会」は市馬で「雛鍔」だった。11月は11月17日(土)の28:20から、つまり18日(日)04:20からで柳家さん喬の「小言幸兵衛」だそうだ。実際の「落語研究会」は国立劇場の小劇場で毎月開かれているけれど、多分なかなか切符は手に入らないだろう。次回は11月26日(月)で、その後は12月27日(木)、1月29日(火)、2月28日(木)、3月27日(木)だとウェブ・サイトに書いてある。→こちら

CBSドキュメント

 毎回これを見た時にはここにメモっているけれど、最近はさすがに録画しているものだからそのまま放りっぱなしになっていることがある。しかし、何回分かはやっぱり放映時間延長なんかになっていて録り落としている。この歳になるとそんな機能があるだろうことは予想がつくんだけれど、えぇ〜とあれはどこのボタンだっけかなぁといっているうちに時間が切れるということに大体なっている。この番組も考えてみるとTBSテレビで元ネタは概ね米国CBSの「60 minutes」だけれども、時には同じCBSだけれども他の番組なのかと思う特集版があったりする。毎週水曜日の25:55からだから、正確に云うと木曜日の午前1時55分である。司会がTBSアナウンサーの吉川美代子と日本に暮らしている英国人のピーター・バラカンである。ピーター・バラカンは毎週土曜日にNHK-FMで午前7時15分から9時まで「ウィークエンド・サンシャイン」という番組をやっていてその間口の広さにはいつも驚嘆するのだ。
 印象的だった1本は4年前に放映されたというトルメニスタンがソ連から独立して最初の大統領だったニヤゾフ・テュルクメンバシュ(本名:サパルムラト・アタイェヴィッチ・ニヤゾフ ーウィッキペディアから)のインタビューだった。天然ガスと石油を産する力を背景に「永世中立」だとして鎖国一党独裁政治を敢行。町中至る所に自身の金ぴかの銅像やら大きな絵などが張り出され、中央アジア金正日というよりは金日成であり、かつてのサダム・フセインであった。こうした独裁政治に邁進する為政者の中でまだ生きているのはカダフィくらいのものだろうか。尤も彼も米国にとことんやられて今や骨抜きか。わが家も大連立なんぞにならなくて良かった、良かった。

NHK「証言記録 兵士たちの戦争」

 多分全部見ているのだけれども、記録に残してはいなかった。第2回「マリアナ沖 失敗した新戦法・三重県鈴鹿海軍航空隊」第3回「北部ビルマ 最強部隊を苦しめた密林戦・福岡県・久留米第18師団」第4回「ビルマ・退却戦の悲闘・福井県敦賀歩兵119連隊」を再々放送くらいで録画。マリアナ沖海戦の直前に福留繁・聯合艦隊参謀長は飛行艇が不時着してフィリッピンで抗日ゲリラに捉まり、「あ」号作戦司令書を取られたばかりか、解放された後、それが取られたことを報告せず、この作戦指令は米軍の手に渡って、すっかり読まれていたという。この参謀長の係累が会社にいたことを想い出す。そういえばこの時の小沢治三郎・連合艦隊司令長官係累もいたのではなかったか。いや、私の考え違いか。