ほぼ足りてまだ欲 その先

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日本人のDNAか

 昨日のイベントでの話。いくつかのグループがアメリカ・オリジンのリズムに乗ったアメリか・オリジンの曲をやる。しかし、どうもそのリズムが自分のものになっていないという場合があると、友人が指摘する。しかし、その同じグループが、例えば日本オリジンの曲でもアメリか・オリジンのリズムに乗った曲をやると、それがフィットしていたりする、というのである。確かになぜかそれを感じる時は多々ある。なにかの違和感を感じながらそれはなんでだろうと考えたことがなかった。自分のものに取り込むのが容易か、いや結構そうでもないのかという違いがあるのかもしれない。それとも先天的に、つまり日本人としての産まれ落ちて持っているDNAが処理できたりできなかったりということがあるのかもしれない。この辺のことは誰か研究している人がいるのだろうか。
 例えばブルー・グラスあたりは日本人にとってひょっとすると無条件で共鳴しやすいタイプのものだったりするのではないだろうかというのが私の感覚なのだ。そのシンプルさが明治以来の西洋音楽初等教育においての成果として取り込まれてきているのか、あるいは遺伝子的関連が存在するのかもしれない。そこにいくとR&Bといわれる分野に繋がる諸々のあり方というのはひょっとするとどうひっくり返ってもわれわれ大和民族にとっては処理しきれないものを含んでいるのかもしれないという思いがしないでもない。同じ傾向のリズムを含む日本語オリジナル曲と、米語オリジナル曲を比較すると何か分かるのだろうか、それもわからない。これは歳を取ってきたからそう感じるのか、あるいはただ単に自分が機会に恵まれていないだけかもしれない。しかし、こうした傾向の話を始めると、多分多くの人が自分の経験、そして自分の感覚だけで語り始めることになって収拾がつかなくなるんだろうな。そんな研究者がいるとしたら、そういう人の話を聞いてみたいものだ。