ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

代官山ー中目黒

 多分生まれて初めて東横線代官山の駅に降りた。かつて東横線にはトンネルが二つあり、ひとつは横浜と反町の間、そしてもうひとつが代官山と中目黒の間にあった。今では東白楽から反町に向かうところで地下に潜ってしまうので反町の先のトンネルはもう電車は走らない。お洒落街の代官山と今はいわれているけれど当時は誰もなんの興味も示さない普通のその辺の私鉄沿線の街だったはずだ。駅前の路地裏にも小さなお店がいくつもでこぼこと散在していてどこかで見た様な街の雰囲気で、そう、吉祥寺の裏の方にも近いかもしれない。旧山手通り沿いにも洒落た喫茶店やら衣料品店やら豪華そうなマンションやらが並んでいる。
 そういう目で見るからだろうけれど、歩いている人たちも何やらお金と暇がありそうで、おじさんやおばさんも結構派手な格好だ。一体どんな人が暮らしているんだろうといいながら歩くとなにやらずいぶん長いこと閉鎖されたままになっている緑豊かな敷地があっちにもこっちにもある。どうなっているんだろう。ウロウロしているうちに何やらウッディーな家ばかりが集中してたって居る一角に遭遇。よく見たら、どうやら住宅展示場の様で、「ビッグフットスクエア」という名前の様である。どこか静かなところでこういう家にひっそり暮らせたらいいのにねぇ、とただ見るだけだ。
 某国大使館で開かれた説明会に出席。あぁ、こんな旅に行けたらいいのにねぇ、と夢を見る。どうせなら下るだけだからと中目黒まで下る。駒沢通りの脇を降りて線路沿いに中目黒駅を目指す。中目黒駅に近づくに従って、夢から覚めていくという感じである。
 するとガード下を入る鉄柵の扉が開いていてその中を見ると突き当たりに「記帳所」と書いてある。こんなところに何の記帳なんだろうと頭をひねると・・もしやあの日比谷線が脱線して反対方向から来た電車がぶつかった大惨事に関係があるのでは・・と近寄ってみた。
 扉の影に一人の東京メトロの職員の方がおられた。やはりあの事故の関連で、足を踏み入れてみると東横線下りと日比谷線の下りの線路の間のスペースにでる。そこには立派な慰霊碑が建っていてたくさんの花が捧げられている。犠牲者5人の方のうちの4名の名前が刻まれている。なぜ4名なのか不思議だったけれど、帰ってきてから新聞記事を調べてみると37歳で犠牲になった女性の遺族は記銘することを断っておられるのだそうだ。その気持ちも分からぬではない。まさかただ乗っていただけで一瞬のうちに命を取られてしまったのだから許し難い気持ちを御すのは簡単ではない。あの事故はどう考えても営団の安全に対する警戒の緩みだからだ。17歳で犠牲となった当時麻布学園の高校生、富久信介君は東大受験を目指し、なおかつプロボクサーを目指していた青年だったという(こちら)。2000年3月8日の朝、あの事故をテレビが報じるのをずっと見ていた記憶がある。私自身は学校を変わろうとしていた新学期前の時期であり、水曜日という平日にもかかわらず家にいたことを思い出す。