ほぼ足りてまだ欲 その先

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誘拐事件から昔の話

 テレビで「吉展ちゃん誘拐事件」の話をしていた。何で今頃、と思うのだけれど、あの事件から今年の3月31日で45年になるのだというのだ。吉展ちゃんは当時4歳。つまり昭和33-34年くらいの生まれだったのだろうからそのまま生きていたら今では49-50歳くらいということになる。私は当時高校生だった。そんなに昔のことではないと思っていたのだけれど、今日の番組を見ていて画面に映し出される光景を見ていると今と随分違っていることを確認させられてしまった様だ。電話だって全く変わってしまった。車も全く違っている。
 あの事件を遡ること8年。1955年7月にはトニー谷の長男が誘拐された事件があった。当時私は多分小学校に入ったばかりだ。その後、トニー谷の家の傍の学校に通うことになって初めてその事件を想い出した。実はその前年か二年前にわが家に「誘拐するぞ」という脅迫状が舞い込んだことがある。細かい話はもう両親がいないから分からないのだけれど、それからしばらくの間、私の周りに当時父親が勤務していた会社から屈強(なんだろうと子ども心に思っただけだから実際はどうだったのかは分からない)な男性が交代でやってきていた。当時の会社はまさに今から考えると「家族」という認識でいた様だからそんなことがあったのだろうか。今だったらとても考えられる話ではない。
 そういえばあの会社では毎年職場の社員だけではなくて家族全員を巻き込んだバスハイキングなんかにも行っていた。だから、社員同士の付き合いに終わらずに子どもたちも含めた付き合いになっていた。例えば正月なんかになるとどこかの家に家族みんなで集まって正月を祝っていた。こっちの部屋ではおやじたちが酒を呑みながら唄ったり大声で口角泡を飛ばしたりしていたものだ。子どもたちはまたあっちの部屋や外で遊んでいた。たまにはおやじたちの部屋に潜り込んで、手を合わせ、皿を箸で叩いて唄っているのを目を輝かせながら見ていた。今だったらもううざったくってしょうがないと思うことだろう。多分そんな職場の雰囲気がいやでいやでしょうがなかった人たちもいたことだろう。それでも現場仕事だったあの会社のあの職場だったからあんな雰囲気だったのかも知れない。もう子どもたちが人生の後半に入ってからはほとんど付き合いがなくなってきたけれど、つい十年ほど前までは年賀状のやりとりが続いていたくらいだ。そうした状況の中で育ったと云うことは私の人生に大きな影響を与えている。
 吉展ちゃん事件が起きた翌年は東京オリンピックだ。世の中は沸き立っていた。東京の街の中はどこもかしこもほじくり返されていた様な気がする。ボウリングが流行しはじめてきて世の中浮かれていた。それでもやっぱり戦争の傷跡がそのまま残され、そのまま放置されていたところはそこら中にあり、取り敢えずどうにかしなくちゃいけないところを漸くどうにかした、といって良いのではないだろうか。テレビや雑誌で見る洒落たファッションなんてものが露出されはじめた頃だけれども、実際はそんな流行に乗っかった格好して街を歩いている人たちを見たって実際はうちに帰れば何枚か板の外れたどぶの横のぬかるみを避けながら駅に向かう、というのが実状だ、なんて考えていたことを想い出す。まぁ、そんな状況は今でもあんまり変わらないだろうと思うけれど、そんな表面的な状況を見て、そうした虚像を追い求める風潮を造り出さないと世の中の金はまわらない、ということなんだろうか。だからブランドもん屋さんを見るといつまでもその嘘っぽさに辟易する。