ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

蕎麦はすすって食べる

 今を去ること30年ちょっと昔、1970年代の半ば。私は静岡県にいた。工場に北欧の国から駐在になる人が二人でやって来た。当時彼らは40歳くらいだっただろうか。その街に彼らのうちのひとりは半年ほどで帰国したけれど、もうひとりは一年半ほどいた。やって来てまだ間のない頃、彼らに街の中でどんなところにどんな店があるのか教えてくれといわれて案内した。
 商店街にいくと、そこには昔からの蕎麦屋があって、それでも田舎町の話だから蕎麦だけじゃなくて、鰻から鮨からなんでもある。もちろんカレーライスだってあるし、下手をしたら、あそこだったらビーフ・ステーキといったら焼いたかも知れないというくらいだ。
 その二人の北欧人だって、日本に来て暮らすというわけだから一応なんかで読んできていたらしくて「蕎麦なるものをくってみたい」というのだ。私は当時20代後半であんまり彼らにそんなものを強要するのは好きでなかったから、乗り気じゃなかったんだけれど、本人たちがそういうんだからと、暖簾をくぐった。
 ぼわぁ〜っとした雰囲気の店で、傍らにはもちろん台の上に乗ったテレビがついていて、隣のテーブルには新聞が載っている。当時のことだから石油ストーブでもついていたかも知れない。あのぼーっとした感じから考えると、ひょっとしたら雨が降っていた日かも知れない。
 ざるそばを二人に注文した。彼らはもちろん食べ物をすする、なんてことは習慣にないから私のように「ずーっ!」とたぐり込むと云うことができない。もぐもぐもぐと口に入れ込んで食べる。日本人は口で手繰るということが旨い。だから、パスタやスープまで啜る。はなはだ勝手ながら、私は蕎麦をたぐり込むのは正当な作法だと思っているけれど、そっちのパスタやスープを啜るのはこれは大変に不当な作法だと思っている。どっちも同じだという評論は誠に間違っている。それは刺身とタルタルステーキは同じだというのと等しい。海の生き物と陸の生き物との違いだというのではなくて、習慣の違いだ。
 はっきり云ってパスタを口で「ズ〜っ!」とたぐり込んだり、スープを「ズ、ズ〜っ!」と啜る、ましてや珈琲をすする奴は後ろから思いっ切り頭をぶっ叩いてやりたい。「気持ち悪いんだよっ!」