ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

銀盛堂

 銀座の中央通り、二丁目の角にある革鞄屋さんというべきか。これまでこの店には何十回出入りしたか数え切れない。買ったものといったらもちろん数えられる程しか買ったことがない。いつからこの店がここにあったのか、それは知らないけれど、相当昔からあった。気がついたときにはもうあった。
 奥に行けば行くほどイタリア製のため息が出るような良い匂いのする、そしてフラップをめくってみるとお洒落この上のない裏地に彩られた数々の鞄に何度おびやかされたことか。それでも値段が目の玉が飛び出るほどではないにしても、私にしては清水の舞台から飛び降りなくては入手できない、そんなバッグを長い間をおいてようやく手に入れる、というくらい。真ん中辺にはちょっと変わった感じの、普通の生活では持っていてもちょっと浮きあがりゃしないだろうかという感じの大いにお洒落なバッグ、そして手前には通りかかったサラリーマンがつい手にしてしまって買ってしまうようなビジネスバッグが、手前右側にはPORTERのコーナー、というのが定番だった。
 だったと書いたのは一昨日に通りかかったらやたらと商品に値引きの赤い札が見え、おやっ!と止まったら、なんと店内に「閉店セール」のポップが貼ってあったのである。えっ!と慌てて足を踏み入れると、もう既に店内はあれだけギシギシに商品が並んでいたというのに、すかすか状態である。お客のひとりがいつまで開けているのかと店員に尋ねていたが7月いっぱいという答えだった。これでは最後は多分銀座5丁目の「タカオカ靴店」状態になるんだろうか。
 あぁ、ここもかぁ・・・と唇を噛みしめる。惜しいことをしたものだと残念無念であるけれど、多分こうしたバッグを買う人が減ってきていたのだろうというのは予想していた。いくら品物が良い、センスが良い、といっても段々こうしたものに金をかける人が減っているのだろう。軽いバッグに人気が集まるのは仕方がない。私もそれまでは鞄は銀盛堂で買い続けてきたけれど、今使っているものはなんと「無印良品」で購入したものである。「惜しい」といっても自分が裏切ったのだからそんなことをいう権利を持っていないと指摘されても仕方がない。私は常にめいっぱいものを入れ、書店の帰りは青息吐息でこの鞄をまさに「担ぐ」ので、鞄そのものが軽いものが欲しい。
 ここで入手したイタリア製の皮鞄(こちら)のひとつは15年くらい使い続けた。さすがにしっかりした造りの鞄でも、これだけの期間いつもいつも使っていたら縫い目がすり切れてくる。一度はベルトが切れた。私にはハンドバッグの職人の友人がいるので彼に直してもらった。だからそれくらい使い倒すことができたといっても良い。
 この店の不思議さは店員のおじさんたちが、銀座の中央通りの店でありながら、トラヤ帽子店に爪の垢でも煎じて飲ませたいくらい、下町風だった。なんだか浅草の新仲見世にでもいそうなおじさん店員なんである。気楽といったら気楽、あけすけといえばあけすけ、鼻の先を上向けているお客はトラヤ帽子店のような扱いを期待するのかも知れないけれど、そんなのは知っちゃいないという雰囲気だった。だから、商品を試し持ちするのに全く気を遣わずに手にすることができる気楽さがあった、あの値段なのに。
 この際だから少しくらい高くても、死ぬまで持ちそうな(この歳ならその確実性は高い)イタリア製の革鞄が欲しいものだと思ったけれど、とうとう、ここがもうちょっと何とか、といって買わなかった。

 これでまた銀座で私が立ち寄る定番の店がひとつ消えてしまった。