ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

あれからもう一年

 秋葉原通り魔事件から今月の8日で丸一年になる。あっという間の一年。こんな事件があっちでもこっちでも聞くようになってきたような気がするんだけれど、以前より増えているのか、あるいは大して変わりはしないんだけれど、こういう事件が目につくようにこちらの意識が変わっているのだろうか。
 しかし、自暴自棄になったとしてもかつてはその辺にいる人を適当に誰でも良いから刺し殺したりするものだったのだろうか。それでも「通り魔」という事件はいくらでも聴いた覚えがある。それでもその犯人たちは行く場所のないやりきれなさであるとか、どこかで爆発したいということをそんな事件に身勝手にもぶつけたけれど、彼らはその後捕まって死刑になってしまいたいからという考えを持って事件を起こしたという話はあまり聞かなかったような気がする。
 そういう「もう死にたい、死にたいけれど、自分では死ねない、どうせなら誰でも良いから道連れにして、死刑になって死ねばいい」という発想は一体どこから生まれてくるというのだろうか。
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 まったく関係のない話をする。今朝の朝日新聞を読んでいて驚いたのは、「週刊首都圏」のコラムで結婚式の披露宴に友だちや親戚の代理として人を雇って挨拶までして貰うというシステムがあるというのだ。びっくりして連れ合いに話すと彼女はそんな話はもう半年ほど昔にテレビで聞いて知っているという。なんでそんなことまでして結婚披露宴をしなくてはならないのかがわからない。もうまったく理解を超えている。その記事の中には「突然来られなくなった人がいて穴があくから」といわれて行くがどう考えても友だちがいないらしいと書いている。いなければいないで良いんじゃないのか。
 その役割としてはそこそこの話はするけれど深い話をするわけにはいかない。そのつかず離れずが難しいというのだけれど、とても私にはそんなことはできない。
 私は友だちの結婚披露宴の司会を28回ほどやったことがある。そのうち、段々プロの司会者のようないわゆる「臭い」セリフ回しや雰囲気が出てきちゃうようになった頃に誰からも声がかからなくなった。もちろん友人たちの結婚が殆ど終わったこともあったけれど、初々しさがなくなったこともひとつの原因だろうと思う。
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 私はこの国の雇用条件は企業の効率的経済活動(すなわち指摘企業の利益追求活動)のためだけに変化を余儀なくされてきたわけで、自民党公明党の連合政権は彼らに資する政治活動を進めていけば、日本全体の経済活動が活発になり、その滴がしたたり落ちて全国民に行き渡るのだという説得をしてきた。そして、国民・有権者は彼らの「新自由主義」を「郵政民営化」という当面良くわからない問題を表面に出してわぁわぁとお祭り選挙にする強行突破にものの見事にやられてしまった。
 政治と経済がタッグを組んでこの国を動かそうとするととても簡単だということがこれを見ると良くわかる。その結果として私たちは何をこの手に得たのか、そして、何を失ってしまったのかを考えてみる必要がある。

 そのために私たちはいつでも逡巡することなく、立ち止まってみても良いのではないだろうか。