ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

どうせ何もできない行政だろ

 先週の金曜日、夜に近所を歩いていたら見慣れないマンション(この言葉はどうしても抵抗があるなぁ、タウンハウスとか集合住宅でいいだろう、そんな豪勢なもんそんじょそこらにはないだろうから)のロビーが明るくともっていて、「ここにこんな建物があったかなぁ」と思ったら、以前周囲の家々に「反対!」というビラがやたらと貼ってあって周辺住民の方々が異論を唱えていた高層のものだった。結局なんだかんだいっても民間ディベロッパーが計画した通りになってしまったようだ。
 そういえば近所にも相当に高い建物の集合住宅が建つ計画があって周囲では相当抵抗があるらしい。何しろ空が極端に狭くなってしまうことは事実で、それはそれは鬱陶しい光景になるのは目に見えている。
 しかし、今の法律にあっていさえすれば申請された建築確認は行政はおろす。周辺の苦情は別段法に触れないから斟酌するべき基本形が存在しないから。しかし、以前にはよもや30階を超えるような建物が計画されるなんてことは考えもしなかった。
 そうした時代の変化を読み取って方針を作り出すことが行政に課せられた使命ではあるけれど、この国は国家統制の国ではないからという理屈でそうした予見に基づく将来構想に積極的に取り組む行政というのはほとんど見たことがない。こういう事態がいくつも起こってきたからなんらかの取り組みをしなくてはならないといって動き出す、ということになる。
 しかし、これはこの国のシステムだから大きく変わることはない。ではいったい誰がこの国の将来構想を考えるのかといったら誰もいない。下手に水が足りなくなりそうだと予見して計画しても状況が変わってきたらそれに会わせて変更、もしくは中止をしなくてはならず、そうした時に誰が責任を取るかが問題になるからだ。
 だから、ほうら見てみると、責任を取るのがいやだから誰もダム計画を見直して変更もしくは中止しようとはしないし、市民が畏れながらと訴え出ても司法も責任をとる気概がないから無視してしまう。そんな人たちのために後々まで税金を垂れ流す補正予算を組む理由がどこにあるのか、よくわからない。
 あれ・・・・そうそう、そんな高層住宅があっちにもこっちにもにょきにょき建っているけれど、本当に耐震性は大丈夫なの?今でも設計者や建築会社は「ほかが壊れた時にうちのだけが中途半端に残ってなくていいんだよ」といってやってるんじゃないの?