ほぼ足りてまだ欲 その先

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やればできるのか?やらないのか?

 日本記者クラブでの6党党首討論はテレビで生中継されていた。気がついたら半分くらい時間が過ぎていて、慌ててテレビをつけた。あ、そうか、こんな事って確か例の郵政選挙の時もやったなぁと思い出す。自分の記録によると2005年8月29日の事だったらしい。当時は小泉が自信満々相変わらず蛙の面にしょんべん状態(尾籠な話で恐縮)のいいたい放題だったのを思い出す。
 その点では麻生はまだましだという事はできるかもしれないけれど、今の自民党のキャンペーンを見ていると今日の麻生のこの言葉に集約されているという事なんだろう。それは「自民党には一貫性ある公約と、それを実行する力があると思います」というものなんだけれど、じゃ、これまではそんな力があるけれど、ただやらなかっただけなんだという事なんだね?
 なんだか子どもの頃に親によくいわれた言葉を思い出す。「おまえはやればできるだけの力がありながらそれをやっていない」という奴だ。これはよくいわれたけれど、その度に「それは買いかぶりって奴なんだ」といいたかった。いいたかったけれど、さぼっていたのは事実だから仕方がない、なにもいえなかった。しかし、実はやらなかったのだからやれなかった事と何ら違いはない。実はまんまこの話をうちの子どもが私にいうんである。こういう時にいう言葉じゃないけれど、歴史は繰り返すのである。
 麻生くんにいっておかなくちゃならない。「やらなかった」のは「やれない」のと結果的には何の違いもないんだよ。わかるかなぁ。
 「国民のためにある」自民党が実は経団連のいうがままに労働者派遣法を数で押し切って改悪してきた事は事実であり、その法改正をうまく利用してきている事がこの国の構造を改革なんかしないで、目先を乗り切る事しかしてこなかったんだから、やっぱり君たちには「やれなかった」という事を認めるべきだろう。
 それにしてもこの党首討論はベテラン記者が単刀直入な質問を投げつけるので、面白いのだけれど、どう答えるんだろうと興味津々となるのだけれど、党首連中の回答が実に慎重そのものなので、回答が面白くも何ともない。
 鳩山に国立の慰霊施設の考えについて確認した時に、そのままトナミ運輸で、神職資格を持つ綿貫に意見を求めた。なんと答えるのだろうかと身を乗り出してみると、彼の回答はたった一言「反対です!」だけでぐったりした。
 麻生は「子供に夢を、青年に、若者に希望を、そして高齢者には安心を、です。行き過ぎた市場経済原理主義とは決別します」なんて事までいった。実に上っ滑りな言葉の羅列で、恐れ入った次第なり。一体全体、彼のこの言葉を誰が支持するというのだろう。
 それにしても鳩山の外交に関する質問に対する回答は苦しい。それは官僚から長年にわたって情報を得続けてきた自民党と比較されてしまうのだから難しいということだ。例えば核に関する密約の存在はどう考えても米国公文書館所蔵の資料や元外務事務次官の証言からいっても明らかという他はないけれど、外務省-自民党の繋がりに保護されているわけだ。いざ、政権から自民党が除外されたとき、霞ヶ関はどう対処しようというのだろうか。それでも自民党-霞ヶ関の繋がりは政権与党を排除して成り立つのだろうか。そんな事は考えられないと私は思うのだけれど、閉鎖してやり過ごせるのだろうか。
 それにしても日本記者クラブはなんでこの6党党首に握手している写真を撮らせろとするんだろう。そりゃ不自然だよ。

 この討論会の模様は「産経ニュース」が詳細を報じているし、例によって「ビデオ・ニュース・ドットコム」が動画で公開する。