ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

Foxfire

 Firefoxの間違いじゃないのか、といわれてしまいそうだけれども間違いじゃなくて「Foxfire」という教育活動というか、その結果として何冊も出版されている本の話でもある。ちょうど2年前にその40周年本をAmazonで入手した。その時もこれは立派なオーラルヒストリーであるけれど、英語を母国語としない私にははなはだ読みにくい事情にあるということをこちらに書いている。そもそもFoxfireの一冊を入手したのは友人が見せてくれたある雑誌に掲載されていたことに始まる。
 40年にわたって、高等学校の先生が指導して高校生たちが地域の高齢者にインタビューをし、それをそのままに写真とともに掲載し続けてきたわけで、それがそのまま地域の伝承となっていて、テキストにして保存されるという活動である。
 今でこそ、こうした活動はビデオ化されて保存され、それをそのままネット上で利用できる環境が大きく前進し、よりニュアンスが伝わりやすくなってきているが、かつてはそれをテキストで再現して伝えるしかなかった。民俗学の研究者によって広く活用されるようになってきた技術のひとつであるけれど、これがひとつの研究対象にまでなりつつある。
 日本オーラルヒストリー学会というものがあって偶々そのHPを見つけたら今年の発表の中にこのFoxfireを題材として発表している人がいることに感慨を新たにしているところで、念のためと思って「Foxfire」をGoogleで検索してみたら「森の聞き書き甲子園」なるものがヒットした。
 これはなんだろうと見ると「林野庁文部科学省・社団法人国土緑化推進機構NPO法人共存の森ネットワークの4者からなる 実行委員会が実施するプロジェクトで、毎年、日本全国から選ばれた100人の高校生が参加」するものでこちらサイトには「Foxfire in Japan」としてある。
 確かにやっていることは高校生を対象とした教育活動の一環として地元の伝承文化を残すことを自ら参与して行うという点で似たところはあるかも知れないけれど、ジョージア州Rabun Countyで進められてきた活動はその対象が限定されているわけではなくて、テキスタイルや楽器造り等々様々な分野に広げられてある。
 しかし、この日本版はサイトを見るとよくわかるけれど、様々なスポンサリングを得て、役所と一頃話題になった天下りと予算の無駄使いで話題を呼んだ公益法人NPOと組ませたいかにも商業ベースに乗せたイベント屋が考えそうな活動のニオイがぷんぷんとする。コマーシャルな活動として仕組む以上、多分Foxfire Fundには何らかのコンタクトをとっているだろうとは思うけれど、基本的な姿勢をこうしてぶちこわすことにはあまり賛成ができない。そんな名前をかたる必要が一体どこにあるというのだろうか。日本の林業の現状を広く社会に知らしめるということにまず一義があってそのために若者の教育をかねて注目度を上げるということには確かに意味があるかも知れない。そのためにはもっと真正面から取り組んでも良いのではないかという気がする。