ほぼ足りてまだ欲 その先

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共通項

 新銀行東京八ッ場ダム東京オリンピック
実行して良かったのか、実行しなくて良かったのか。

今年の4月10日の都知事記者会見(東京都のサイト上の記者会見議事録テキスト版)
朝日新聞記者】あと、もう1つ、すいません。都庁内および都議会内で、オリンピックの開催都市が決まる10月で、オリンピック招致の成否に伴って、わかりやすく、石原さん、途中でやめちゃわないかというような声がありますけども、そこはどのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。
【知事】さあー、これは、やっぱり勝ち方、負け方の問題だろうね。うん。それは結果、見なきゃわかりません。勝敗は兵家の常(へいかのつね)っていうけどさ、しかし、そういってうそぶいて過ごすわけにもいかないかもしれないし、際どい戦いならば、次にまた望みを託してバトンタッチすることになるかもしれないし。しかし、やっぱりね、今の日本の状況を眺めていて、うーん、オリンピックというね、イベントがやってきたら、日本人はかなり新しいパターンのオリンピックつくることはできると思うし、それでまた日本の存在感がね、出てくると思いますね。
 実は、昨日だか、一昨日、私ね、外人記者クラブ(日本外国特派員協会)で久しぶりに講演したんです。もともとあそこのアソシエイトメンバー(準会員)なんだけども。で、いろいろね、反応を聞いているとね、どういったらいいのかな、やっぱり環境問題にみんな関心ありますね。
 それで、西洋人の言葉なんだけど、開高健(小説家)がたまたま引いてきたね、ゲオルグ(東欧の作家)の詩を、ま、何かの一つ覚えで、私も記者クラブで披瀝(ひれき)しましたらね、やっぱり記者のほとんどはそういう文句知らないで、ね、改めて「たとえ地球はあした滅びるとも、君はきょうリンゴの木を植える」というのは、開高が紹介したゲオルグのあの美しい詩の一節は、やっぱりそこはかとない危機感を持っているメディアのね、東京にやってきておる外国人の新聞記者だから、ある選ばれた人でしょう、あるレベル以上の教養があるんだろうけど、彼らはみんなやっぱりそのことをね、非常に強い印象を受けたって言っていましたが。何も私のメッセージじゃない、これはやっぱりゲオルグという人のメッセージでね。
 いたずらに危機感をあおることもないけども、しかしやっぱり、まことに不本意な現実があるわけだから、こういったものをね、共通の認識としてどれだけ強く持つかということで、東京は、条例を変えてですね、ICAP(国際炭素行動パートナーシップ)に入る資格もつくりました。そういうことは、やっぱり、だれが評価してくれるかしてくれないかわかりませんけども、今、都の行政を預かっている責任者としては、私が当然すべきことだと思います。はい、ほかにはいかがかな。どうぞ。(以下略)

 途中から聞かれてもいない環境問題に如何に自分が考えているのかということをゲオルグの一行を引いて巻き込んでオリンピック招致に対する責任のあり方についてはうやむやにしてしまった。朝日の記者も若者らしくて、そのままにしてしまったのはちょっと残念な気がする。
 彼がこの先の一年半をひたすら挽回のために(なんの?)、身を粉にして真摯に取り組んでいくだろうかという点についてははなはだ疑問が残る。もっと自暴自棄に陥って周囲の人間を罵倒しないとは限らないからだ。
 石原の名誉(そんなのは通常私は頓着しないのだけれど)のために書いておくけれど、スポーツ報知の記事(2009年10月4日06時02分)にあるような「どういうつもりで、そういうつまらん質問をするのかね」という発言は少なくともこの会見ではなされていない、本人が心の中でどう思っていたのかは別として。
「誰に聞いても東京のプレゼンは圧倒的に良かったと言う(msn産経ニュース2009.10.3 09:16)」という石原の発言は落選決定の直後とはいえ、「殿、お気を確かに!」いって差し上げたい。誰だってあぁたに「どうだった?」と聞かれないまでも、「良い、プレゼンでしたっ!」っていうに決まってるものなぁ。それ、反省に至っておりませぬ。