ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

日曜日のテレビ

 なかなか寝付かれなかったのに、朝7時過ぎには目が覚めてしまった。目が覚めてしまうと空腹をおさえられない。パンを焼きはじめてテレビをつけたらフジ・産経テレビの「ボクらの時代」だった。なんだか聴いたことのある男の声と媚びた女の声が聞こえてきて、こりゃ一体誰だろうと首を伸ばして画面を見たら小林旭浅丘ルリ子の隣になかにし礼が話している。
 小林旭が年間に13本もの映画がどうしてできたんだろうと云っている。そういえば昭和30年代の邦画界は毎週封切りが二本という今から考えたらとんでもない多産の時代だった。そりゃ制作現場はむちゃくちゃだったことだろう。
 小林旭が言うにはそれがおかしくなったのは制作現場に労働組合ができてからだったという。しかし東宝争議が大騒ぎになったのは戦争直後のことで、組合が労働条件をはっきりしたものにしたことが映画をだめにしたといういい方は1956年に日活からデビューした小林旭が言うのもおかしいような気がする。勤務時間を頑なに守ろうとするのはこうした現場にはあわないんだといういい方は、芸能ジャーナリズムが映画俳優の私的なスキャンダルを書くようになったところからおかしくなったんだといういい方と矛盾する。「公私をはっきり分けてたんだよなぁ」というなら現場労働者も「公私」を分けても良いだろう。小林旭によればそれまでは芸能記者番記者となっていて、書いても良いこと、書いてはまずいことをきちんと分けていたのに、週刊明星がそれを破ったところからこういう状況になってきてしまったのだという。つまり、「仲良し業界」であったものがパブリックになったところからだめになったんだというのが彼の主張だった。そのおかげで独立系の映画が面白いものを作ることができたんだということもできる。大体、ギターを背中に背負った男が馬に乗って日本を歩き、拳銃ばんばん!なんて不自然な噴飯もの映画を良く創ったものだ。
 年末には裕次郎組と小林旭組がそれぞれ熱海に繰り込んで熱海の芸者を取り合ったという逸話を話すと浅丘ルリ子が「まぁ、それは凄いわねぇ」とあわせる。
 見てはならない醜悪なものを見てしまったような気がしてイースターの朝から画面から目を背けた。

 コーヒーを入れながら画面をそのままにしていたら始まったのは須田哲夫というなんとも浮かれ果てた司会が登場する「新報道2001」で、出演者は石原慎太郎(不良小説家)都知事に言いたい放題にさせる。彼は国会議員を放りだした人間であって、もう国政について語る資格を持たない。これは報道番組なんてものじゃなくて、かつてTBSの「時事放談」が細川輶元と小浜利得のふたりに言いたい放題にさせていたのと全く同じ。それこそ「放談」ならば銭湯で言い放っているみたいでいいけれど、こうなったら「報道」じゃない。
 消費税の議論を選挙を意識してやらないという民主党のスタンスは怪しからんというのは、そのままかつての自民党政権、そのままの話でこの番組の論点はむちゃくちゃだ。石原の言いたい放題にしておくのであるならば司会なんてものは要らない。
 マニフェストなんて英語を使うな、公約っていったらいいだろうというのが石原だ。日本語でいえば良いというのは賛成だけれども、しかし、公約を何も守らずに来たのが自民党政権だったわけで、それで良いとしていた過去の時代のじいさんには退場して貰おう。話にならないからテレビを消した。