ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

とうとう 都知事選挙

 とうとう、石原慎太郎がまた都知事選挙に立候補するらしい。もう願い下げだ。それでも「これまで続いていることは良いことだ」と思っている人たちがたくさんいて、この元不良小説作家がこれまでにどんなことをしてきたのか、どんなことを発言してきたのかについて何も振り返らずに判断する人たちがたくさんいるらしく、それがとても不安だ。今まで立候補が取りざたされている人たちの中に、この男の本質をわかっていない人たちがたくさんいそうな気がしてねぇ。あの男はもう78歳だ。
 あの男が最初に東京都知事選挙に立候補したのは1975年のことでこの時に彼が敗れた相手はあの美濃部亮吉である。この選挙には数多くの対立候補が立候補した。結果はほぼこの二人の一騎打ちで、30万票の差で美濃部が勝った。しかし、この男は2,336,359票の多きを獲得し、これは落選候補の得票数の記録だそうだ。
 この時の立候補者の中に、「今日の日はさようなら」を作詞作曲した金子詔一がいる。彼がこの選挙で得た票数は僅か2,853票だけれど、マル青同政治連盟の杵淵美和子の30歳に次いでの33歳で若い方から二人目になる。杵淵が1945年生まれで金子が1942年生まれである。
 金子詔一が当時の選挙公報に書いたものをそのままネット上に残してくれている人がいて、それを今読むことができる。1960年代の終わりに多少なりとも金子詔一と縁があったもののこの選挙の時には東京にいなくて全く知らなかった私としてはこれをこの際こちらで引用して残しておきたい。

都会ーすべての政党 今日の日はさようなら
 なんだか「偉い人」を選ばなければならない。「選挙の日」はいつも気が重い。棄権するにしろ、誰かの名前を書いて来るにしろ、何となく気恥ずかしい一日になってしまいます。自分で納得のできる判断をしたのだとは思えないからでしょう。
 今のルールでは、候補者からの一方通行の選挙運動しか許されていません。
そこでこの“選挙のあり方”を変えてゆく、その最初のステップとして今度こそ私たちの手でテレビ討論会を実現しましょう。
4月12日(土)、全TVネットワーク全都知事選候補者によるマラソン討論会です。各候補者が意見や主張を交換しあう中で私たちは、正しい答えではなくいい答えを選ぶことができるでしょう。そうでないと私達は、またあのいくつもの正しさの中で迷ってしまうのです。
 どの政党にも属さず、属することもできず、私と同じように選挙の日が「重い」方々の耳となって選挙期間中を通して私はひたすらに聞き続けて参ります。
そしてそれらの思いをテレビ討論会に持ちこみ、私達のために必要な議論を展開するとともに“リーダーを選ぶ”にはもっと意味のあるそしてもっと気持ちの良いやり方が今日では可能だということを、はっきりとそして精一杯伝えて参ります。
 TV討論会が実現しなかった場合、どうしても認めることのできない今回の選挙。
棄権でもない
白票でもない
全く新しい私達の意思表示として
「今日の日はさようなら」
と書いてまいりましょう。
 そして64の開票区に向かい
“無効票「今日の日はさようなら」”
と読み上げられるたびにその一票一票に連なる深い意味を、かみしめようではありませんか。
■4月13日を気持ちのよい日に!!
 毎日をいっぱいに、しかも真剣に生きている都会人間のいることをはっきりと示しましょう。
今、あなたの声が必要です。同じ思いをいだいている方は力を貸して下さい。お電話でもお手紙でも結構です。
 (住所と電話番号が書いてある)。

 とてもユニークなのは「私を都知事にして下さい」とはひと言もいっていないということだ。これでは彼は都知事になる気はなかったんだろうと見える。その代わり、何をいいたかったのかといったら当時の選挙制度のもとでは候補者がいっていることをそのまま一方通行で聴くしかないじゃないか、ということではなかったか。
 驚くのはそれまで実現していないテレビ上での討論会をやるぞというのである。これが本当に実現したのかどうか、私は首都圏に暮らしてはいなかったから全く知らないのだけれど、これが40年後の今になってみるとこの「テレビ」を「ネット」に置き換えるとそのままになるのが面白い。
 当時は多分紙の媒体上のテキストによる情報、そして候補者自身が車を走らせて語りかける以外に接する方法がなかったわけだから、それを改革する手段として、テレビ上の討論会を提案しながら、実現していなかったということになる。
 もうそろそろ選挙にネットをオープンにしよう。