ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

支離滅裂

 とにかくこのブログは定めたジャンルというものはないので、いつでも支離滅裂であることをお断り(今頃かよ!?)するわけだけれど、改めて雑誌の種類が凄いことに驚いたのであるよ。
 ここのところ、新潮社の季刊雑誌「考える人」の切り口を再評価して、バックナンバーを読みたくて、高い金を出しながら捜している。で、その探し方なのだけれど、神保町の雑誌専門店が最も確率が高い。先日「神保町は高いよ」とご忠告を戴いたのだけれど、ブックオフでも、単独古本屋さんでも、ネット上ではamazonで見るくらいで、他では殆どこの雑誌を見かけることがない。amazonでもかなり良い値段がついている。(この「良い」値段というのは日本語の場合望外の高い値段という意味なのが面白い)。
 しかし、そうして雑誌の専門店に入ってみると、驚くほどの種類の雑誌が年がら年中出ていて、それはもう驚くほどなんである。ところが「それでも」雑誌の種類は減っているといわれたりして、気が遠くなるほどだ。一体全体、こんなにたくさんの種類の雑誌を一体全体どなたが手にしているというのだろうかと聞いてみたい(けれど、一体誰に聴いたらわかるのかね)。あっという間になくなってしまう雑誌も、それこそ三号雑誌という言葉がそのままいつまでも生きているのも不思議な気持ちになろうというものだ。
 読み手の側にも不思議はあるけれど、書き手の側にも不思議はある。これだけ読みでのある内容をてんこ盛りにした雑誌の中にも思いもよらぬ人が書いていたりして、そこの部分だけカットして売ってくれと要望したいことだってあるくらいだ。(実は以前に世代論を持ち出した私より若い文学者がいて、若造が何をいいやがると書いたら、そいつが辿ってきて自分のブログに、ネットをよく知らない爺が、なんぞと書き込まれたことがあって、あいつの書いたものは見たくもないのだが、近頃辛口と評価されているらしくて、やたら出てくるのが気に入らないのだ。なぁにが「猫」だ。)
 そのうちにそういうことになるだろうか。すなわち、電子雑誌化の流れの中で、ある記事に特定した抜き刷りならぬ、抜き配信購読というものが。しかし、それでは売れる記事は売れるけれど、売れない記事は売れないということになって、雑誌を発行する方としては困ることになるんだろうか。
 あ、いやいや、こんなことは、こんな引退者がぶつぶついわなくたって、やる気満々の脂ののりきった編集者の皆さんがとっくのとんまに考えておいでのことだろう。期待しちゃおう。