ほぼ足りてまだ欲 その先

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親は子の鑑

 つまらん話なんだけれど・・。昨日家から出ようとしたらエレベーターが上から降りてきて、小学生位の娘とその母親が乗っていた。「こんにちわぁ〜」といって乗ろうとすると、二人して鼻を押さえているという異様な光景だ。「なにかあったんですか?」と聞くと二人して「変なニオイがするんです」という。確かに、たくわんのようなというか、誰かが一発激しいものを放屁したようなニオイがしないわけではないけれど(失礼!)、なにしろ集合住宅のエレベーターだから、ゴミを持って乗る人もいるわけで、こんなことは日常茶飯事である。
 大したことのないことにことさら異様に反応するのは若い人たちの特権で、これが感受性を育てるのかも知れないけれど、そんな感性が嫌いで、「そうですかねぇ」と反応した。するとこの母親が「私達ニオイに敏感なんで」と続けたのだ。これがまた近頃の傾向で「私って〜な人なんで」という安易な自分の判定ごっこ丸出しなんで余計にムッと来た。よせばいいのに「ということは私は鈍感だってことになるんですな」と応じた。勿論向こうは「いえ、そんな意味ではなく」といったけれど、私が意図したことを理解できているわけがない。と、こうしているところで途中の階から他の人が入ってきた。するとどんな光景になっているのかというと、年寄りの爺さんがひとりと、隅に張り付いて鼻を覆っている母と娘を見ることになる。あたかも私が無神経にも一発放って、それに迷惑している母・娘が鼻を押さえている、という光景にしか見えないのだ。とんでもない爺の完成だ。
 一階に到着して道をあけてあげるとこの母・娘は飛びだしていき、そこには駐輪するなとお達しがでているところに止めた自転車に飛び乗り、赤信号を無視して渡っていった。
 こんな母親に育てられるんだから、小学生の娘がそんな人間になっていくのは仕方がないのだ。子どもにとって親は価値観の大半を醸成する。
 だから、本当に反省しているのだけれど、これがわかるようになった頃にはもうほぼ手遅れだというのが人間の辛いところだ。そういう意味で親は重要で、申し訳ないと思っている。