ほぼ足りてまだ欲 その先

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肩代わり

 今や生活保護費は2012年度で3兆7千億円に達している(東京新聞社説2012.06.13)んだそうだ。しかし、全体の中で不正受給されているのは「全体の0.38%」(日刊SPA!2012年06月12日18時55分)だという。140億円くらいが適切でないケースに費やされてしまっているという計算になるのだろうか。
 支給日の区役所の様子を見ているとかつてに比べて若い人たちが増えていることに気づかされる。失業保険はなかったのだろうかとか、ハローワークで手に職を付けるということはできないのだろうかとか、考える。しかし、今時失業保険がしっかり出るような仕事に就いている人はとても上手く人生を送ることができている人たちだと考えるしかない。
 なにしろ労働者派遣法がないがしろにされて、どこの企業もまるでパッチワークのように、一時的に労働力を必要に応じて手当をして、要らなくなったらぽいっとできるような仕組みが完成されてから企業は労働力というものは抱え込まなくて良くなった。彼らはそういうシステムにしないとグローバル化の進む国際社会では太刀打ちできなくなってしまう、そうなったら企業はどんどん海外へ出て行ってしまうぞといってきた。
 それはかつて「ニコヨン」と呼ばれた日雇い労働者の存在が全国的規模、全世代規模に広げることができたということだった。つまり、それまで企業が抱えて供給してきた福利厚生部分をすべて切り捨てて、それを国庫で負担するというシステムに大きく肩代わりした結果なのだ。そしてその挙げ句の果てに今やこんなに国庫で負担するのはやり過ぎだといいだしている。
 それはどういう事を意味するのかといったら、どんどんこの国の国民を疲弊させるという方向にあるということになる。自分たちは日雇い国民という分類分けに入ることは決してないんだと思っているところが、あたかもどんなに原発が事故を起こして放射能が降り注いできても自分たちの頭にだけは降り注いでくることはないと確信しているように見えるのと何か似ている。つまり、自分たちはその対象には入らないと思いこんでいる。修正協議がどうたらこうたらいたずらに時間を消費しているだけならまだしも、歳費という莫大な金を国庫から提供されながらただただそれを無駄にしている国会議員たちは自分だけは路頭に迷うなんて事はあり得ないと思っているし、自分だけは放射能汚染から守られていると思い込んでいる愚者の集まりだとしか思えない。
 しかし、ながら彼らをあの場所においているのも私たち国民だというところが悔しい。