ほぼ足りてまだ欲 その先

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先達

 民主党はその前に自民党公明党という実にまぁ、うってつけの反面教師がいたものだから、どんなことを主張して選挙に打って出れば勝てるという読みを作るのがとっても楽だったことだろう。なにしろ既得権益というか、それまでほとんど好き勝手にやってきた霞ヶ関-自民党-公明党という組み合わせはそれにつるんでいる中核が儲かるようにやっておけばそれで十分に見返りがあったし、公明党に至っては本当はそうではなかったけれど、世の中の中心を立ち位置として存在しているんだというプライドを十分に満足させることができたのだから、もういうことなかったことだろう。
 地方にはドォ〜ンとハードを買い与えておけば良かったし、その過程で必ずそれに絡んだハードサプライヤーから何かしらの美味しいメリットがもたらされてきていた。それを見ていた人たちは、これは正しいことではないけれど、「不魚住じゃ困るものなぁ」と思い込まされていたし、世の中はそうしたものなんだと教え込まれてきた。そうでない奴は「青二才」だからだと。
 しかし、そこに現れた「民主党」は「そんなことで良いのでしょうか?正しいことを正しいといってやる世の中であるべきではないのでしょうか!?」と叫んでいた。そりゃそうだ、世の中正しい主張をする人が報われるべきで、ウソのデーターを積み上げて工事に掛かるダムなんて要らないんだよ!と至極まっとうな世の中になるような気がしていた。
 それなのに、反面教師を真っ正直に「教師」だという取り組みになっちまった。「そんなことをいって世の中うごきゃしないんだよ、大人になれよ、大人に」とさんざん使い古された台詞を吐きまくって、元の木阿弥、ずるがしこい奴が勝って、愚直な人間はそのまま放り出されて死んでいく時代がまたやってきてしまったのだった。
 民主党ならやってくれるんだろうと思って投票した人たちは今どんな気分だろうか。騙されたなぁという気分だろうか。それとも、いたたまれない気分なんだろうか。
 それにしても、あの時福田某と大連立を組もうとして党内の反論を喰らって代表を辞任した小沢一郎は一体どう考えているのだろうか。そこのところだけが見えてこない。